ナカ故事

生きる教訓...

保護者の家庭教育での怠慢が、子供をサンタ信者にしてしまうのではないかという話

 ホームアローンを観ていたら、久しぶりに書いてみたいという気持ちになった故、書き殴る。体裁はしっかりしているかもしれないが、ほぼ推敲もしていないので、まとまりがないことについては了承していただきたい。

プロローグ

「サンタいつまで居ると思っていた?」ということについての会話は、仲良くなって半年くらい経った友人たちの間で、大体最近の出来事についての話題が尽きた際に交わされている会話だと思うが、私は今までこの手の話についていけたことが無い。なぜならば私は、そもそも、サンタがいるともいないとも思える次元に達していなかったからである。

0. サンタがいるともいないとも思える次元に達していない、とは?

 私はプロローグで、サンタがいるともいないとも思える次元に達していなかった、と書いたが、この意味が分かるのは、実際にサンタがいるともいないとも思える次元に達していなかった人間のみだと思うので、解説する。

 読者諸君のうちの数人は、私の家庭が、クリスマスに子供にプレゼントを与えない貧困家庭か、何かしらの教義に反するためにクリスマスに伴う行事を行うことが制限されている宗教家庭であることを疑っているかもしれないが、そんなことはなく、記憶にある限りは、いつかの12/24に、玄関に任天堂Wiiが入っていそうなビックカメラヨドバシカメラの包装のついた段ボール、いつかの12/25*1にリビングのクリスマスツリーの足元に任天堂Wiiの箱が置いてあったことなど(他にもいくつかあったと思う)、一応人並みのクリスマスは経験しているのである。

 では、次元に達していないとはどういう意味か?それは、そのプレゼントを見た際に、このプレゼントはサンタクロースが持ってきたものであるのかどうかなんてことは考えず、この12/25という日の朝に、12/24までに頼んでおいたものが置いてあるというシステム自体を信じたのである。

 このシステムの信仰の裏には、親が用意しているという暗黙の了解があったかもしれないが、私にとってその事実はさして重要ではなかったから、全く記憶にのこっていないと考えられる。

1. なぜ、サンタの存在是非を問える次元に達してしまうのか?

 自分でも、私のような考えに陥ることは少ないということはわかっているのだが、果たして、それはなぜなのだろうか?

 考えられる原因を列挙してみる。

 一つ目の理由が最も多い理由であると考えられる。3歳~5歳くらいから、一般の家庭では、欲しいものを何らかの方法で、何らかの対象に伝えれば、そのものが届くという形式(これは私の考えていたシステムというほどのものではない)を認識し始めると思うのだが、別にここで保護者がこれはこういうものなのだよ、と教えればいいものを、全くの信仰心も持っていないに、意味のない「サンタクロースが持ってきたんだよ」という嘘をついたために信じてしまうこどもが一定数出てきてしまうと考えられる。これは後述するが、教育の失敗に暗示しているのではないかと考えられる。

 二つ目の理由については、先行研究ではなかなか触れられてこなかったものであるが、学校及び幼稚園、保育園で強制的に練習をさせられる唱歌には、文章にプラスして音程も拘ってくるため、極めて記憶に残りやすいのではないだろうか。

 三つ目の理由については、これについては、キリスト系の学校の宗教の授業で大真面目に話す人間もいるわけで、茶化すことはできない。だが、そもそもサンタクロースって、キリスト教においてそんな主要な登場人物のひとりなのであろうか?三つ目の理由については、以下、触れない。

2. サンタを信じてしまう子供を育ててしまうのは、親の教育の失敗ではないか?

 ここが本記事の主たる部分であるのだが、1.で述べた子供がサンタクロースを信じてしまう原因は、親の教育次第でどうにか回避できるものだと私は主張する。

 まず一つ目の理由について、いくら子供であろうと、大人(親を含む)の言うことを完璧に丸のみにするというのはいかがであろうか。サンタクロースの存在を信じている子供ほど、事件に遭う確率が高い。という論文が存在することを切に願っているが、私の想像からしてきっとこの予想は正しい。

 サンタクロースが存在しないエピソードを話すときに「親が嘘をついた」などという人間が多数みられるが、それは実のところ本質をついていなく、「親が教育を失敗したので、親の嘘を見抜けるようにできなかった」いうほうが適切なのである。

 二つ目の理由についても同様なことが言える。かの有名なノーベル医学・生理学賞受賞者である本庶佑京都大学名誉教授も言っていたが、これからの時代に必要とされているのは、「教科書を信じない(疑う)」という姿勢であり、学校で歌わされたからその内容を信じる*2なんて行為は、これからの社会でのその人間の失敗を約束するようなものなのである。

 一つ目の理由と、私の主張する、親の教育でサンタ信仰を回避できなかったという事実は、子供に影響を及ぼす主体は同じであるが、行っていることは全然異なり、特に前者を私は問題視すべきではないと考える。後者は非常に由由しき行為であり、このような行為による結果が、公教育に伝播し、最終的に、大学がグライダー人間養成学校*3などと言われるようになってしまうのではないだろうか。サンタを信じさせる親が、この世の中を悪くしていると言える視点も存在すると思う。

3.「まだ弟は、サンタクロース信じているから。内緒で」に潜む違和感

 稀にクリスマスシーズンに、弟や妹がいる友人の家に行くと、そのような注意を受けた経験をしたことのある人はそこそこいると思うのだが、恐らく、そのような注意を行う長兄は、自分自身もサンタクロースを信じていた経験と、その信心が裏切られたという経験があり、それを踏まえて、私に注意をしているのだと思うが、この行為は、自らの一族を破滅*4へと追い込む手段として極めて有効であると考えられる。

 前章にて、親が、自分の嘘さえ見抜けない子供を育ててしまうということが、その子供のグライダー人間化を助長すると述べたが、もし、その子供が、さらにこのような行為を行うならば、それは他人の航行を邪魔する穴の開いたグライダー人間であると言わざるを得ない。

 おそらく、私に注意をしてくる人間は、弟たちのためを思って、そのような行為を行っているつもりなのであろうが、それは建前であり、実際のところ、自分がサンタクロースを信じていたという事実を正当化、または普遍化するために、新たな犠牲者を生み出そうとしているのである。これは極めて悪質な行為である。

 すべての子供の行動が親の責任問題につながるとは思わないが、他人を陥れる行為をするような人間が育つには、親の影響が極めて大きいであろう。これも、どう考えても親の重大な失敗である。

 すなわち、ある家庭の12/25において、親が子供にサンタクロースがプレゼントを持ってきたのだと嘘をつき、その嘘を子供が見抜くことができなくて、かつまた何年後かの12/25にその子供が自分の兄弟に気を遣うような状況が起こってしまったのならば、その家系の将来は決まったようなものであろう。そんな状況を作り出してしまった父母は、今まで現代までこの遺伝子を受け継いでくれた先祖(勿論サンタクロースが誕生する前までさかのぼる)にたいして詫びなければならない。

4. まとめ

 私は全く、サンタクロースを信じる道筋を辿らなかったわけだが、別に親の教育が正しかったとも思っていない*5ので、1.~3.は全部嘘です。メリークリスマス!

*1:B'zのいつかのメリークリスマスについては、いつかのメリークリスマス B'z - YouTubeを参照

*2:イカロスは飛んでいないことなんて容易に想像がつくのに、なぜサンタクロースの存在は信じてしまうのだろう?

*3:外山滋比古『思考の整理学』より。東大京大生によく読まれていると書いてあったので、何となく読んでみたが、覚えている内容がこれだけであった。グライダー人間とは、風を受けなければ飛ぶことのできない人間、即ち自分で考えることのできないい人間のことである。Amazon.co.jp : 思考 の 整理 学

*4:生物的にではなく、社会的に

*5:そもそも教育された記憶がない