ナカ故事

生きる教訓...

私の原動力①

 久しぶりに記事を書く。

 いつの間にか23歳3ヶ月になった。現在身分は大学院生で、なんやかんやであと4年位大学院生をやることになりそうだ。

 実態がどうであったかは濁しておくが、経歴だけで言えば、東葛高卒、京大卒、大学院入学と悪くはない経歴で、また肝心の中身に関しては、主観だがユニークな性格を持ち合わせている気がする。平均的な人と比べて幾分クリエイティブな生活を送っているし、多くの人が無視しがちな面倒くさい仕事も積極的に請け負って、社会が円滑に進むための手助けができていると思っている。世間的に見て悪く評価されるような生き方をしているつもりはない。世には生まれながらに色んな方面への才能を持ち合わせている人もいるようだが、私が今このような人間になれているのは、どれもこれも人生の節目節目で頑張ってこられたからである。本記事ではその原動力を紹介する。

 その原動力は中学時代に私が出会った、ある一人の人間に由来する。彼は、私が中学校に入学すると同時に新卒で教師になったTという数学教師であった。確か理科大卒。彼と私の接点は部活動で、彼が野球部の顧問で、私は部員という関係であった。

 詳細を書くと長くなるので省略するが、私は彼が世界中の人間の中で一番憎くて一番苦手で一番嫌いだった。というか、今もそうである。彼は中部地方の、俗に言う地方進学校出身かつ、硬式野球部の主将を務めていたらしい。今考えれば、教師として最悪の経歴の持ち主であった。どう最悪かというと、教師が最も生徒に教えるべき、他人への思いやりや論理的な思考力を身につけることができないという点で最悪である。もちろん彼と似た経歴で立派な方もいるかも知れないことは断っておく。会ったことはないが(そもそも母数が少ない)。

 彼が新卒で教師になったのと同じ年齢になったのを期に彼の行動を思い出してみると、自分には決してできないようなことをしていたと思う。私には、まだ右も左もわからない中学生が何かしらの間違いを犯すたびに、高圧的な態度を示したり恫喝したり、退部した部員をやり玉に挙げて「野球部を最後まで続けたやつは受験もうまくいく」とか、23歳ごときの乏しい人生経験(少なくとも23歳の私はそう思う)から「野球をやっていた人間は社会で重宝される」とか根拠不明、論理性の欠片もない文言を偉そうに20人くらいの中学生に向かって自信満々に演説したり、自分でも意味がわからないのに、見栄えだけで丸刈りにすることを求めたりすることはできない。

 何が彼をそうさせたのか。それは先にも述べたが、田舎の進学校での野球部という、「文武両道(笑)」的精神の育まれやすい環境で上手くやっていけてしまったことが、彼に悪い方向で自信をつけさせてしまい、「無知の知」のmの字も知らないような、傲岸不遜というか、恥知らずの高慢教師を生み出してしまったのであると考えられる。そういえば、彼のおすすめの本として『キングダム』があるそうだが(おすすめ本紹介でメジャーな漫画を紹介する教師って果たしてどうなのか)、その漫画からは、教師と生徒という関係性であっても謙虚に接する姿勢などは学べたのだろうか?学べていれば、私は現在彼が監督を務めているであろう野球部の部員たちを憂う必要はない。

 彼へのこれ以上の呪詛、罵倒(全て事実であるが)を書き連ねるのはまたの機会に取っておいて、私がこれだけ彼を憎んだお陰で、なぜ人生の節目節目で頑張ることができたのかを説明しよう。

 彼が憎くて憎くて、どうにかして彼にバツの悪い思いをさせてやりたかった中学生の私は、とりあえず、絶対に勉強では彼に負けないようにしようと思った。当時の私には理科大のレベル感はあまり分からなかったが、少なくとも早慶あたりよりは簡単なレベルであろうと検討をつけ、慶應に入学していた姉よりは賢くなればいいと算段を立てた。しかし、彼のとの付き合いも中学3年生までである。したがって、中学生の私がいくら頑張ろうと彼より優れた学校歴を手に入れることはできないし、また、実際に数年後良い大学に入学できたとして、彼にそれを伝える手段はほぼないし、仮に伝えたとして大した反応は返ってこなさそうで、また、いつしか、学校歴にそんなに拘るのがすこしダサいな、という気がしてきていた。つまり、「彼より優れた学校歴を手に入れる」という目標を変える必要性が出てきた。

 そこで考えたのが「文科省に入り、どうにかして彼をクビにして、人生をどん底に陥れる」という目標だった。この目標のほうが、私個人の復讐として本質的であるし、また人生設計としても優れていると思った。そしてこの目標は今も私の心の奥底に、行動原理の一つとして刻まれている。ただし、「どうにかして彼をクビにして~」というようなことは現実的にし得ない(してはいけない)ことは乏しい人生経験からも理解できていて、今は「中学校教育の現状把握と改革」というような文言に取り替わっているつもりである。

 「ならば、なぜ学部を卒業するタイミングで文科省に就職しないのだ」と思われる方もいるかもしれないが、それは、中学生だった頃より広い世界で様々な経験をして、他にもやりたいことがたくさんできたからである。ただし、ご存知の方も多いと思うが、文科省は博士課程修了者も多く採用している。つまり、常に本来の目標に戻る選択肢も用意して生きているということである。

 かくして、現代社会で評価の大きな軸となる、勉強という観点では彼に負けないように努力し、事実当初の目標は達成できたと思っている。ただ、これはあくまでノルマのようなものである。

 私には、もう一つ、彼との関わりを通して打ち立てた目標がある。それは、「彼のような生き方を全否定して、社会的に評価される立場になること」である。正直、勉強は、何をやればいいか明白であるし、おそらく遺伝的に向いていたので容易かったが、こちらの目標は、今でもなかなか難しいと感じている。この目標は今現在全く達成できていないし、どうやったら達成と言えるのかもあまりわかっていない。ただ、断っておくが、彼のような生き方、やり方が正しすぎてその目標を達成できないわけではない。社会的に評価を受けるというのは、一朝一夕にできることではないのだ。だが、その御蔭で、今も私は頑張れている。

 ここで終わらせても良いのだが、何が彼のような生き方で、何が私の目指す生き方なのかを詳しく述べたいため、この記事を前編にして、後編をまたの機会に書きたいと思う。筆は遅いが、必ず書きたいと思っている。もしもここまで読んだ人がいたなら、期待しておいてもらいたい。