ナカ故事

生きる教訓...

気象大学校に落ちた話 後編

 前回からおそらく1年10か月ほど更新が滞っていましたが、その理由を端的に言うとさほど面白くもない話を続きものにしてしまったためにあまり書く気が起きなかったからです。

 前回の記事が読みたい人は(私は読みたくないです)読んでください。

nakako-1853.hatenablog.com

 読むのがめんどくさい人のための要約

 数物英だけで受けられるのと、校舎が母校の真横にあったために、何となく気象大学校を受験することにして、一次試験(2018年10月)に間に合うように物理の勉強をとりあえず一通り終わらせ(公立高校だったため、まともに物理を始めたのが高3の夏休みからだった)、筆記試験はそこそこ出来が良く、最後にてっきり文章力チェックだと思っていた作文試験「災害が起こった時に何をしますか」に対し、「周りを見捨てて我先に逃げる」のが最も命を守るうえで正しいと、理路整然と述べて、裏まで使って800文字も書いたのだから大丈夫と安心しながら受験会場を後にした私であった。

 

 つづき

 確か一次試験の合格発表の日は学校があり、しかも発表の9時ちょうどは情報の授業だったため、授業中に隣のN君と一緒に、学校のパソコンで合格発表のページを閲覧し自分の受験番号があることを確認した。

「うわ、なんかある」

 出来が悪いとも思っていなかったが、数学の記述式はおそらく一問も完答していなかったので、一次合格は怪しいかなと思っていたのだが、なぜか合格していた。喜んだのか喜んでいないのかは記憶が定かではない。

 一次試験合格者には二次試験が待っており、それは12月にあった。内容は、人物検査、身体検査、作文検査で、作文はすでに一次試験の日に書いたもののことだったが、合否に関わるのは二次試験に進んでからであった。

 つまり、気象大学校二次試験についてはもう勉強しなくていいのである。たまたまテスト期間にかぶっていたので、「気象大学校二次試験のため公欠」というなかなかに格好いい公欠ができることに喜びを感じながら、12月までは主としてセンター、国立二次に向けて物理を勉強していた。

 そして、気象大学校二次試験本番は、記憶は少ないのだが、一次試験でも自分の右斜め前にいた、多動性の受験生がいて少し嫌になった記憶はある。また、気象庁の旧庁舎で行ったのも覚えている。

 身体検査では、恐らく受験生の中で唯一の運動経験者(他は鉄道と音ゲーにしか興味のなさそうなやつらばかりだった)である私は最も早く身体検査を終了した。血圧か何かで精密検査をさせられていた肥満受験生が印象的だった。

 人物検査は、恐らく人事院気象大学校の人たちとの3対1の面接で、真ん中のおじいさんがとてもやさしかったため、終始和やかで、途中「得意科目に物理って書いてないけど大丈夫?」などと突っ込まれた(物理初めて数か月なのだから、無理に決まっている)が、なんとかうまくできたと感じた。

 またしても莞爾として受験会場を後にした。確かその日は駿台御茶ノ水校で「理系の地学」という冬期講座があったので、それに向かった。

 結果はセンターの数日前に発表であった。

 筆記試験はクリア、身体検査も人物検査もほどほどにOKで、もう落ちる未来が見えていなく、あとは席次だけが気になっていたが、勿論、あるいは、案の定私は落ちていた!

 原因は勿論作文である。

 ご覧あれ。

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気象大学校入試結果開示 作文試験E判定の実際の画像

 

 他の点数も開示されていたが、そこの部分の画像は見当たらなかった。たしか、一次試験の筆記は、英語が9割、数学が7割、物理が5割くらいだった。

 センターの数日前に絶対に受かると思っていた大学校に滑ることの儚さよ!

 私は少し悔しかったが、まあ自分が正しいと思っていたことが公務員には認められなかっただけのことなので、いいやと思ってあまり気にしなかった(が、3年後にまたしても公務員試験に人物試験で落ちた今となっては、気にするべきだったのかもしれないと思っている)。

 

これは、神のお告げだったん・・・京都大学に行きなさいという、神のお告げ・・・

 

 京都大学にすでに受かっていたならばまだしも、受かる前にお告げを受けるというのもおかしな話であるが、結局わたしは、その2か月後に京都大学理学部に合格するのであった。