ナカ故事

生きる教訓...

私の原動力①

 久しぶりに記事を書く。

 いつの間にか23歳3ヶ月になった。現在身分は大学院生で、なんやかんやであと4年位大学院生をやることになりそうだ。

 実態がどうであったかは濁しておくが、経歴だけで言えば、東葛高卒、京大卒、大学院入学と悪くはない経歴で、また肝心の中身に関しては、主観だがユニークな性格を持ち合わせている気がする。平均的な人と比べて幾分クリエイティブな生活を送っているし、多くの人が無視しがちな面倒くさい仕事も積極的に請け負って、社会が円滑に進むための手助けができていると思っている。世間的に見て悪く評価されるような生き方をしているつもりはない。世には生まれながらに色んな方面への才能を持ち合わせている人もいるようだが、私が今このような人間になれているのは、どれもこれも人生の節目節目で頑張ってこられたからである。本記事ではその原動力を紹介する。

 その原動力は中学時代に私が出会った、ある一人の人間に由来する。彼は、私が中学校に入学すると同時に新卒で教師になったTという数学教師であった。確か理科大卒。彼と私の接点は部活動で、彼が野球部の顧問で、私は部員という関係であった。

 詳細を書くと長くなるので省略するが、私は彼が世界中の人間の中で一番憎くて一番苦手で一番嫌いだった。というか、今もそうである。彼は中部地方の、俗に言う地方進学校出身かつ、硬式野球部の主将を務めていたらしい。今考えれば、教師として最悪の経歴の持ち主であった。どう最悪かというと、教師が最も生徒に教えるべき、他人への思いやりや論理的な思考力を身につけることができないという点で最悪である。もちろん彼と似た経歴で立派な方もいるかも知れないことは断っておく。会ったことはないが(そもそも母数が少ない)。

 彼が新卒で教師になったのと同じ年齢になったのを期に彼の行動を思い出してみると、自分には決してできないようなことをしていたと思う。私には、まだ右も左もわからない中学生が何かしらの間違いを犯すたびに、高圧的な態度を示したり恫喝したり、退部した部員をやり玉に挙げて「野球部を最後まで続けたやつは受験もうまくいく」とか、23歳ごときの乏しい人生経験(少なくとも23歳の私はそう思う)から「野球をやっていた人間は社会で重宝される」とか根拠不明、論理性の欠片もない文言を偉そうに20人くらいの中学生に向かって自信満々に演説したり、自分でも意味がわからないのに、見栄えだけで丸刈りにすることを求めたりすることはできない。

 何が彼をそうさせたのか。それは先にも述べたが、田舎の進学校での野球部という、「文武両道(笑)」的精神の育まれやすい環境で上手くやっていけてしまったことが、彼に悪い方向で自信をつけさせてしまい、「無知の知」のmの字も知らないような、傲岸不遜というか、恥知らずの高慢教師を生み出してしまったのであると考えられる。そういえば、彼のおすすめの本として『キングダム』があるそうだが(おすすめ本紹介でメジャーな漫画を紹介する教師って果たしてどうなのか)、その漫画からは、教師と生徒という関係性であっても謙虚に接する姿勢などは学べたのだろうか?学べていれば、私は現在彼が監督を務めているであろう野球部の部員たちを憂う必要はない。

 彼へのこれ以上の呪詛、罵倒(全て事実であるが)を書き連ねるのはまたの機会に取っておいて、私がこれだけ彼を憎んだお陰で、なぜ人生の節目節目で頑張ることができたのかを説明しよう。

 彼が憎くて憎くて、どうにかして彼にバツの悪い思いをさせてやりたかった中学生の私は、とりあえず、絶対に勉強では彼に負けないようにしようと思った。当時の私には理科大のレベル感はあまり分からなかったが、少なくとも早慶あたりよりは簡単なレベルであろうと検討をつけ、慶應に入学していた姉よりは賢くなればいいと算段を立てた。しかし、彼のとの付き合いも中学3年生までである。したがって、中学生の私がいくら頑張ろうと彼より優れた学校歴を手に入れることはできないし、また、実際に数年後良い大学に入学できたとして、彼にそれを伝える手段はほぼないし、仮に伝えたとして大した反応は返ってこなさそうで、また、いつしか、学校歴にそんなに拘るのがすこしダサいな、という気がしてきていた。つまり、「彼より優れた学校歴を手に入れる」という目標を変える必要性が出てきた。

 そこで考えたのが「文科省に入り、どうにかして彼をクビにして、人生をどん底に陥れる」という目標だった。この目標のほうが、私個人の復讐として本質的であるし、また人生設計としても優れていると思った。そしてこの目標は今も私の心の奥底に、行動原理の一つとして刻まれている。ただし、「どうにかして彼をクビにして~」というようなことは現実的にし得ない(してはいけない)ことは乏しい人生経験からも理解できていて、今は「中学校教育の現状把握と改革」というような文言に取り替わっているつもりである。

 「ならば、なぜ学部を卒業するタイミングで文科省に就職しないのだ」と思われる方もいるかもしれないが、それは、中学生だった頃より広い世界で様々な経験をして、他にもやりたいことがたくさんできたからである。ただし、ご存知の方も多いと思うが、文科省は博士課程修了者も多く採用している。つまり、常に本来の目標に戻る選択肢も用意して生きているということである。

 かくして、現代社会で評価の大きな軸となる、勉強という観点では彼に負けないように努力し、事実当初の目標は達成できたと思っている。ただ、これはあくまでノルマのようなものである。

 私には、もう一つ、彼との関わりを通して打ち立てた目標がある。それは、「彼のような生き方を全否定して、社会的に評価される立場になること」である。正直、勉強は、何をやればいいか明白であるし、おそらく遺伝的に向いていたので容易かったが、こちらの目標は、今でもなかなか難しいと感じている。この目標は今現在全く達成できていないし、どうやったら達成と言えるのかもあまりわかっていない。ただ、断っておくが、彼のような生き方、やり方が正しすぎてその目標を達成できないわけではない。社会的に評価を受けるというのは、一朝一夕にできることではないのだ。だが、その御蔭で、今も私は頑張れている。

 ここで終わらせても良いのだが、何が彼のような生き方で、何が私の目指す生き方なのかを詳しく述べたいため、この記事を前編にして、後編をまたの機会に書きたいと思う。筆は遅いが、必ず書きたいと思っている。もしもここまで読んだ人がいたなら、期待しておいてもらいたい。

【国総】不合格者が語る国家公務員総合職「教養区分」合格の方法

 今年も国家公務員採用総合職試験(大卒程度試験)「教養区分」(以下、教養区分)の季節がやってきました。例年、倍率15倍くらいの高倍率で、マーク型の一次試験は「ガチャ」とも言われているそうです。私も昨年度この教養区分を受験し、無事(一次)合格をいただき、あとは2倍に届かないくらいの低倍率の二次試験を勝ち抜けば、国家公務員総合職になる資格を得られるはずだったのですが、面接試験で「野球部時代、する意味が分からなかったので自分だけ坊主にしていなかった」みたいなことをむしろアピールポイントだと思って話していたら、国家の犬には向いてないと判断されたそうで、A~Eの5段階評価(Eが一番下で問答無用で不合格になる)でE評価を賜り不合格になりました。

 どうやら、二次試験の適正は全くなかったのですが、一次試験は1か月ちょっと勉強したら軽く合格できたので、どのようにして勉強したかを、未来の受験者の参考にしてもらうために共有します。

1.初期状態

 こういう勉強法の類は、受験勉強含め、この世に氾濫していますが、その人がもともとどの程度できたかが書いてないと、自分の場合に生かそうとしても合わない場合が多いんじゃないでしょうか。そこで、私の勉強を始める前の状態を書いておきます。

  • 京都大学理系学部3回生
  • 受験生の時、国語もそこそこできた
  • TOEICスコア915
  • 暗記は苦ではないが、そんなにできない
  • 公務員予備校には通っていない
  • (面接対策なんてする人間はアホだと思っている)

 公務員試験に影響してくる要素はこのぐらいだと思います。ここから自分の要素を足し引きして、以下を読んでもらえばいいと思います。

2.どうやって勉強を進めたか(スケジュール)

半年前

 最初の文章で1か月ちょいの勉強で(一次)合格した、と書きましたが、実のところ、半年くらい前に行動は起こしており、加点(下図)があるためTOEICを受験しました。

公務員試験における外部英語試験の加点
人事院「国家公務員採用総合職試験(大卒程度試験)『教養区分』受験案内より)

 上図のとおり、25点加点のなかでTOEIC730点がずば抜けて簡単です。また、TOEICはリスニングとリーディングしかないのに*1、スピーキングとライティングもあるTOEFLと同じ扱いなのが意味不明です。人事院は何を考えているのでしょうか。そもそも、TOEICの点数なんぞで英語力が評価される日本社会全体が異常だと思います。人事院が率先して変えていけばいいのに。

 いろいろ言いたいことはありますが、ここは人事院の意欲ある(?)受験者へのサービスだと考えて、TOEIC730点以上を軽く取っておきましょう。私はもともとセンター英語は10分くらい時間が余ってほぼ満点の英語力(リーディング力)を持っていたので、英語がもともと不得意の人は参考にならないかもしれませんが、東進ブックスから出てる、安河内哲也の「レベル別問題集 860点突破」を20日くらいかけて一通りやったら、860点突き抜けて910点くらいとってしまいました。主としてリスニング力の強化のために勉強しており、リーディングについては大学受験レベルの力があればほぼ対策はいらないと思います。 

TOEIC L&Rテスト レベル別問題集 860点突破 (東進ブックス レベル別問題集) | Craig Brantley, 安河内 哲也 |本 | 通販 | Amazon

  また、大学受験レベルの英単語力がない人については知りませんが、巷にあるTOEICの単語帳(?)のようなものをやる意味は、少なくとも、まともな大学入試で英語の点数をある程度とれた人間なら全くないと思います。時間の無駄です。単語力を上げたいと思っている人でも、へんなみためのTOEIC用の単語帳みたいなものよりは、普通の大学受験用か学術英語用の単語帳でもやったほうがいいんじゃないですかね。ちなみに私のおすすめは問題演習で出てきた知らない単語を覚える、です。

 こうして、半年くらい前に25点は確保しておくと後々ちょっと気が楽になります。25点の加点はかなり大きいです。

 

夏休み中~本番

 その後、8月の半ばまではほぼ何もしていませんでした。たしか、お盆が明けたころから、Twitterで公務員試験を応援するタイプの学生団体が対策の情報を共有し始めたので、私も危機感を覚え、教養試験の過去問題集(国家総合職 教養試験 過去問500 2023年度 (公務員試験 合格の500シリーズ1) | 資格試験研究会編 |本 | 通販 | Amazon)を買いました。

 一応説明しておきますが、例年秋に行われる「教養区分」では、一次試験に「総合論文試験」「基礎能力試験(Ⅰ・Ⅱ)」の計三つの試験が課され、基礎能力試験の点数のみが一次試験の突破にかかわります(総合論文は一次試験でやるくせに最終合格にしか絡んでこない)。

 だから、教養区分を受ける人は、基礎能力試験の過去問が欲しいのですが、残念ながらそれは一般には出回っていない*2ので、人事院にいくらかで請求して何年分かの過去問を貰うか、春に行われるほうの公務員試験の教養試験(教養区分の基礎能力試験と問題数は異なるが内容はほぼ同じ)の過去問題集を活用するしかないのです。

 そのような事情もあって、私は春の試験の教養試験の問題集を活用しました。ですが、本番の試験一か月前で過去問は二十年分くらいあって、全部は解けるはずがないので、一部の科目に絞って解くことにしました。解いた科目は以下。

  • 数的処理
  • 資料解釈
  • 理科(物理・地学)
  • 社会(地理・思想)

 数的処理は対策なしでは本番で解くことは不可能なので解きました。資料解釈はかなり慣れが必要と感じたので解きました。理科は受験生の時の選択科目だから、社会は上に述べた公務員試験を応援するタイプの学生団体の記事に、地理と思想(倫理)は簡単だと書かれていたので解きました。

 上の四つのうち、地理と思想だけは過去問を解く前に参考書と高校時代の教科書(倫理)で勉強しました。

 数的処理や資料解釈も巷には参考書がたくさんあると思いますが、簡単すぎるので*3、当たって砕けろで、本番の難しい問題を頭をフル回転させて頑張って解いたほうが力がつくと思います。また、教養区分の数的処理は春に比べて難しいなんて話も聞きますが、私はそのようには感じなかったです。

 理科は受験生の時の記憶があったら解きましょう、忘れているのなら今更勉強しても無駄です。

 その他の科目(英語、現代文)などは解く意味はあまり感じられませんでした。英語はTOEICのスキルがあればほぼ間違えることはないし、現代文については義務教育、大学受験でさんざん文章を読まされていたはずの大学三回生がいまさら読解力を上げようとしたって無理だと思うので、本番での自分の日本語力を信じるしかありません。

 一ヶ月あれば、上の科目をそれぞれ一周解いたらよほど暇な人でない限りちょうど試験本番になっていると思います。解ききってしまったら、別の科目を解くのではなくもう一度数的を解いたほうがいいでしょう。

3.本番の戦略

 さて、こうして当日を迎えるわけですが、ここまで勉強していても、戦略もなしに試験に臨んでは努力が水の泡です。教養区分はとんでもなく時間が足りないのです。

 当日の午前中にある論文試験は4時間で、2つの文章を作成しますが、これについては普通に書けばちょうど2時間ずつで時間が足りなくなるようなことはないと思います。

 午後一発目にある基礎能力試験I部がかなりシビアです。試験時間は2時間で、問題数は全24問なので、1問あたり五分で解かなければなりません。24問の内訳は、現代文3問、英語5問、数的処理14問(判断推理6問、数的推理8問)*4、資料解釈2問です。

 現代文や英語はA4の3分の2くらいの長さの文章なので、簡単な文章であれば3分もあればすぐに選択肢を選べると思いますが、ちょっと難解な文章だと5分オーバーしてしまうかもしれません。

 数的処理は、数学っぽいほう(数的推理)は割に簡単に解ける問題も多いと思いますが、パズルっぽいほう(判断推理)は6問中最低でも1問はこんなん解けるかいな、という問題があります。

 資料解釈はグラフの読み取りで、死ぬ気で筆算すれば答えは出ますが、そんなことをしたら余裕で5分以上はかかるので、如何に概算と、選択肢から逆算して最短経路で計算を行うかが重要です。コツを掴めば簡単。

 過去問を解いていた時点でこの傾向は掴めていたので、試験を受ける前から以下のような順番で解こうと決めていました。

 

現代文→英語→資料解釈→数的推理(数学っぽい方)→判断推理(パズルっぽい方)

 

 この順番にした理由は、単純に得点し易い順です。散々過去問を解いて、判断推理については、絶対に自分では解けない問題もあるわけで、それならば、最後の残った時間で、解けそうな問題を選んで解いたほうがいいだろうというふうに考えました。

 

 基礎能力試験Ⅱ部(知識分野)は、試験時間は1時間半で、問題数は30問ですが、全問知識問題なので、めちゃくちゃ時間が余ります。すなわち、最初の40分くらいですべてマークし終えてしまい、あとは一度も勉強せず適当にマークをした問題について知らない単語の意味を推測してやっぱりこっちかな、と選択肢をちょこまか変える不毛な時間が流れます(変えた選択肢もどうせ合ってない)。こっちについては対策もクソもないでしょう。

4.結果

 本番を終えたあとの手応えはそこそこで、帰りに梅田で何かを食べて帰りました。

 翌日、人事院ホームページに解答が掲載され、自己採点をしてみたところ、以下の点数でした(後々開示を見ても合ってました)。

  • 基礎能力試験Ⅰ部・・・20/24
  • 基礎能力試験Ⅱ部・・・17/30

 合格ラインは年によって異なるし、標準偏差を計算して点数をだしたりするのでたいへんややこしいのですが、どうやら過去数年の合格ラインは突破できているようでした。たしか、計算すると、基礎能力試験Ⅰ部の1問が、基礎能力Ⅱ部の2問分に相当するというような話なので、Ⅰ部でこれだけ取れていれば全く問題はなかったです。

 Ⅰ部の正誤の内訳は、現代文と英語と資料解釈は全部正解で、数的処理で4問落としました。

 作文の点数は忘れましたが(開示のPDF保存し忘れた)、平均点くらいでした。

5.二次試験

 さて、自己採点がこんなに良い点数であったので、二次試験に向けて対策をしなくてはならなくなってしまいました。すでに述べているように、私は二次試験で不合格となったので、信用ならないかもしれませんが、一応何をしたか述べておきます。

 二次試験は企画提案試験(プレゼン)と政策課題討議試験(グループディスカッション)と人物試験(面接)に分かれています。

  • 企画提案試験

 企画提案試験は、試験当日に、資料を何個か与えられて、それをもとに役人の立場からどういう政策を取れるか、という論文を1時間半で作成し、それを試験官の前で発表して質疑応答を受けるという試験でした。

 当日に資料は何個か渡されますが、一次試験の合格発表のときに、企画提案試験での出題内容に関連のある省庁発行の文書が指定される(〇〇白書など)ので*5、それに目を通しておくといいと思いますが、おそらく当日にその内容を思い出すことはないです。すなわち見なくてもOK。

 実際のプレゼンテーションですが、弁論部みたいな団体に所属していない限り、みんなできないと思います。私は京僚会という関西の国家公務員志望者を支援する団体が企画していた対策会に一度参加しましたが、もちろん良い指導をしていただいたのですが、当日にその成果が発揮できたとは思いませんでした。される質問の内容が「予算はどこから出すの?」など、結構リアリスティックなことで、官僚でなはい自分は、実際の現場がどうなっているかなんてわかりようがないので、こんなもの答えられるわけがないと思いました。最後は「ご指摘のとおりだと思います」を連呼して終了したのを覚えています。でも評価はちょうど真ん中のCでした。多分ほとんどC評価でしょう。

  • 政策課題討議試験

 これは、俗にいう「グループディスカッション」と呼ばれるものですが、一般企業のしょうもないインターンの選考などで行われているものとはちょっと違っていて、これまた事前に資料を渡されて、白紙に20分程度で資料を作成してそのご6人一組になってディスカッションをするという内容でした。民間企業の就活をしている友人に「え!官僚もGDあるんだ!」みたいなことを言われましたが、そんな「ぢーでぃー」よりはもうちょっと格式張ったものだと勝手に思っております。

 ですが、この試験も、~について討論せよ、と言われるわけですが、渡される資料から得られる情報が少なすぎて、タラレバで話すほかなく、一応、「グループ内で意見がまとまったら早めに切り上げても大丈夫です」という指示があるのですが、こんな少ない情報量で意見がまとまっては、逆に国家公務員としてどうなの!?というような感じでした。

 この政策課題討議試験は、二次試験の最後にあるので、試験が終わったあとは解散になるのですが、帰りはグループのメンバーと話しながら帰れるのでとても楽しかったです。唯一そこはいいなと思いました。また、私のグループは6人中5人が京大生だったのが発覚して面白かったです。他のみなさんも元気にしていますか...(連絡先等だれとも交換していない)

 評価はC評価でした。あまり喋れなかったけど。

  • 人物試験

 「お前はこれで最低評価をもらって落ちたんだからこれについて書くなよ」と言われそうですが、教養区分の次の春の数学・物理学・地球科学区分で見事人物試験でB判定をもらい、合格しているので、何がだめだったかがわかるから、これから書く内容はめちゃくちゃためになりますよ。

 人物試験は面接カードという、学生時代に行ったこと、とか自分のどのような性質が公務員に向いていると思うか、みたいな内容を自由に記述するカードを事前に記入し、当日に提出して、それをもとに面接を行います。試験官はまじで面接カードだけから質問してくるので、適当なことを迂闊に書いてしまうと、喋れなくて詰みます。気をつけてください。

 教養区分のときと、数学・物理学・地球科学区分のときで何が違っていたかというと、前者では自分の思想を全面に出していって、「ありのままの私を評価して~」ぐらいの気持ちで試験に望んだのですが、後者では「私の中身をのぞかないで~」という気持ちで、つまり、自分をめちゃくちゃ取り繕っていい子ちゃんになった気持ちで試験に臨みました。

 官僚は自分の意見を出してはいけないのです。犬にならなければなりません。そのことに気づき、二回目の面接では高評価をもらうことができました。

 まあ、普通の人間が普通に受け答えしてたらC評価はつくと思います。私は諸々の事情で尖っているところがあるので。そこが露呈してしまってアウトだったのだと思います。

 

 ちなみに、二次試験は、もしも人物試験で下から二番目のD評価以上が付けばTOEIC25点の加点込みで受かっていました。だから、全部変に狙いにいかないで、普通の人間として受け答えすれば、二次試験の心配はいらないと思います。

 

6.まとめ

 以上から言えることは、

  • TOEIC730点以上を確保する。
  • 基礎能力試験Ⅰ部での高得点を狙う(Ⅱ部は正直どうでもいい、たぶん15点はとれる)
  • プレゼンとディスカッションは、普通に話せればOK、みんなできないから。
  • 面接では国家の犬になる気概をみせること

 これらができれば、教養区分合格は容易いということです。

 大学三回生のうちに、教養区分に合格して、あとはのんびり民間就活をするなどするのが、理想ですね。がんばってください。

 

*1:TOEIC S&Wというスピーキングとライティングの試験もあることは知っている

*2:公務員予備校では過去五年分くらいもらえるらしいが、そのために30万円を払うのはアホらしい

*3:高校時代に気象大学校受験のために買った数的処理の本をちょっとだけ解いたが、あまり力がついた感覚はなかった

*4:この辺の違いは私もよくわかっていない。パズルっぽいやつが判断推理で、ほぼ数学が数的推理

*5:私のときは、指定されていたリンクが切れていて、資料の名前をググって探すという手間をふまなければならなかった。官僚の仕事ってこの程度のものなのか、と思った

USJは西のディズニーリゾートではない

 先日、久しぶりにUSJを訪れる機会があった。千葉県出身者の性からか、どうしても東京ディズニーリゾート(以下、ディズニーリゾートまたはTDR)と比較してしまうわけだが、以前訪れた時と同様に、やはり私の結論は「USJがディズニーリゾートを超えることはできない」だった。この「超える」は入園料のこと*1ではなくて、パーク全体としての完成度についてである。

 以下、なぜ私がそう考えるに至ったのかを述べる。

USJの評価すべき点

 私はこれからUSJのダメな点を指摘していきたいわけだが、勿論たくさんの入場者がある以上、多少はいい点があるので、そのいくつかを挙げる。

 1. 大規模アトラクションの質

 USJには、長蛇の列ができそうな大型のアトラクションがいくつかあるが、そのうち、「ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー」、「フライング・ダイナソー」、「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド」、「ジュラシックパーク・ザ・ライド(今回は休止中だったが)」の四つに関しては、乗ってる間については、大変満足度が高いと感じた。TDRにあるそれらと、アトラクション装置が人間に与える影響に関しては遜色ない、またはそれ以上だと思った。それぞれについての感想は割愛するが、ジュラシックパーク・ザ・ライドは開園当初からあるため、だいぶ老朽化しており、リニューアルしないのかな、と3年前に乗車した際に感じた*2

  2. 駅からの近さ

 ユニバーサルシティ駅を降りてすぐ入口というのは大変に近い。その点は評価できると感じた。ただし、TDRUSJに比べて入口が駅から遠いというわけではない。

 3.ユニバーサルシティの店

 USJの手前にある商店街、ユニバーサルシティには多くの店、特に飲食店があり、帰りに食べていける(ように見えるが、実際のところ閉園直後は混雑しすぎで行けたものではないところには目を瞑ってあげよう)。

スパイダーマンミニオンマリオカートが一流アトラクション扱いされているが、そこまで楽しいものではない

 ここについては大きな批判をもらうと思うが、私が上記のアトラクションに乗って得られた興奮は、TDRにおける「ロジャーラビットのカートゥーン・スピン」、「トイストーリー・マニア」程度であった。TDRにおいて、「スプラッシュマウンテン」より「ロジャーラビット」、「タワーオブテラー」より「トイストーリーマニア」だ、と正直に思う人は少ないだろう(スリルを伴うアトラクションが苦手なので~のような個人的な事情がある場合は別だが)。しかし、USJではそれらが長蛇の列を作っており、その列がさらなる列を呼び、列の長さがアトラクションの面白さの錯覚を生み出し、それが列の長さにつながり、と、負のスパイラルを生み出しているのではないだろうか。十歩譲って「スパイダーマン」は一流アトラクション、「マリオカート」は1.5流だとしよう。しかし、「ミニオンのハチャメチャライド」、彼に関しては、劣化版リニューアル前スターツアーズ*3としか言いようがない。

 この楽しく無さの原因は、「スパイダーマン」に関して言えば、やはり映像に頼りすぎというところがあるだろう。スパイダーマンはライド型アトラクションでありながら、基本的にはスクリーンを見てそれに合わせてちょっと座席が動くタイプのアトラクションである。USJ若しくはUS側はこのようなタイプのアトラクションをユニバーサルスタジオらしいアトラクションだと誇ってそうだが、やはり没入感に欠けると思うのだ。客は実際に映画の中に入りたいわけだが、スパイダーマンのようなアトラクションだと、絶対に超えることのできないスクリーンという壁があるわけで、その点で、例えば「ロジャーラビットのカートゥーン・スピン」という、TDLトゥーンタウンにある訳の分からないアトラクションは、訳の分からないオブジェクトがたくさん目の前に現れるわけで、否応なしにその世界に入り込んでしまうと思うのだ。

 といいつつ、私は映像を使ったアトラクションは全く面白くないと思っているわけではなく、例えば上海ディズニーランドの「カリブの海賊-バトル・フォー・ザ・サンクン・トレジャー」などは、真昼間の大海原に浮かぶ船の動く様子や、ジャックとデイヴィの戦っている姿はさすがに実物で表現するのは難しいので、超特大のスクリーンや、オブジェクトに埋め込んだスクリーンにその映像を映しているわけだが、使い方が妙で、精巧に作りこまれたオブジェクトと見事に調和しており、素晴らしいアトラクションだと感じた*4

 つまるところ、スパイダーマンはちょっと映像が多すぎるのかな、と感じたのである。ただ、十歩譲ったら一流アトラクションだと認めることができるので、そこまで面白くないアトラクションだとは思わない。

 ミニオンのアトラクションについても、同様のことが言える。円形のスクリーンにゆがんだ映像を映したからって没入感が上がるわけではない。

 マリオカートについても、粗い映像が見えるだけで、あれだけ騒がれいてこれ?と思ってしまった。なんならキューラインのほうが面白いと感じた。

 

ジョーズが信じられないくらい物足りない

 ジョーズは開園当時からあるアトラクションで、TDRにしか行ったことの無かった幼き日から、「ジャングルクルーズみたいなの」があると思っていたのだが、今回初めて行ってみたところ、「ジャングルクルーズのパチモンみたいなの」であったことが分かった。

 確かに、ジョーズにはジャングルクルーズにはない、炎が立ち上がる演出などがあるわけだが、如何せん、あまりに短い。船に乗っている時間は、ジャングルクルーズはおよそ9分*5ジョーズはおよそ4分*6である。

 同じようなアトラクションで、時間にして倍の違いがあれば、満足度に有意な差が出るのは言うまでもなかろう。まあ、ジョーズはあくまでビーチ周辺を航行するという設定なので、そこまで広くすることができない気もするが。

ヨッシーアドベンチャーのようなアトラクションを作ろうとする気が知れない

 初めてのスーパーニンテンドーワールドだったため、子供向けっぽいが乗ってみようと思って乗った「ヨッシーアドベンチャー」であったが、小学校低学年ですら満足できないアトラクションなのではないのだろうかと感じた。歩くのよりも遅いスピードで、スーパーマリオシリーズに登場するキャラクターたちのオブジェクトがちょこまか動いているのであるが、もともとニンテンドーワールド内にあるオブジェクトと大差なく、また、ヨッシーの卵を見つけたら手元にあるボタンを押して捕まえるという謎要素も、あまりに影が薄く、本当に5歳児まで専用のアトラクションになっているな、と感じた。

 日本を代表する企業の任天堂が誇るマリオのキャラクターを作って大々的に売り出したスーパーニンテンドーワールドの2つあるアトラクションのうち、1つが就学前の子供専用のアトラクションなのである。用地の狭さもあっただろうが、ありきたりなコーヒーカップのようなものでよいから、ショボさを感じるようなアトラクションは作らなければよかったのに、と思った。

 TDRにおいては、余った場所に作ったようなアトラクションでも十分楽しめるものになっていることが多い。魅惑のチキルーム(スティッチ登場以前は酷かったみたいな話だが...)や、タートルトーク、フライングカーペットなどは最たる例であろう。

 しかし、USJの不思議なところは、こんなアトラクションにも、長蛇の列ができているのである。これについては後程考察する。

⑤スタッフ(クルー)をスベらせて共感性羞恥を感じさせるのがUSJならではの体験なのであろうか

 USJの園内を歩いていて、スタッフ(クルー)とすれ違うと、頻繁に話しかけられる。もしも、キャラクターをモチーフにデザインされたカチューシャをつけている場合は、それについて指摘されるのだが、その突っ込みが「可愛いですね」くらいだといいのだが、ウケを狙った突っ込みをして、客、スタッフ双方が黙りこくる時間が流れるのを私は園内で何度も目にし、私はその沈黙の側で共感性羞恥に悶えるのであった。なお、私はカチューシャなどはつけないで怖い顔をしてスタッフに相対するので、そのようなシチュエーションの当事者になることはなかった。

 おそらく、USJがスタッフに、客に積極的に話しかけて、非日常感を向上させなさいと教育しているのだろうが、どうも、その話しかけ方が、「関学生、阪大生が楽しい楽しいUSJバイトをしているなかで自分が楽しくなってしまって客に調子に乗って話しかけてる」感を感じさせるレベルの薄っぺらいものになってしまっている。

 TDRのスタッフ(キャスト)が、どれだけ客に話しかけていたかは、もうしばらく行っていないので忘れたが、TDRに関するイメージの一つに、「キャストの教育がなっている」というものがあるのは確かである。そのイメージをUSJが解釈して具現化させたのが、大阪人らしからぬ、「スタッフによるスベり芸」なのであった。

まとめ:USJは大阪ルサンチマンランドに改名するべき

 USJは、コロナ前は年間入場者数約1500万人で、入場者数で言えば、年間入場者数が両パーク合わせて約3000万人であるTDRに肉薄または比肩している。したがって、入場者数だけで見れば、USJTDRは遊園地というくくりの中でほぼ同等の格と言えるだろう。しかし、ここまで述べてきたように、USJは細かく見れば見るほどTDRに比べて劣る点が目立つ。つまり、両パークで得られるサービスの質には圧倒的な差があるのにもかかわらず、入場者はほぼ同等なのである。

 その理由は、端的には、地理的要因と言えるだろう。関東と関西の人口比は、国勢調査によるとだいたい2:1程度であった。*7関西と関東で「大規模テーマパークに行きたい」と思う人が同じ割合で発生すると考えれば、TDRUSJの入場者数の比が上記のようになるのは納得できる。

 しかし、「大規模テーマパークに行きたい」と書いたが、実際のところ、関西人も思っているのは、「TDRに行きたい」なのではなかろうか。つまり、関西人の「TDRに行きたい」という気持ちは、地理的要因から「大規模テーマパークに行きたい」にすり替えられ、それがまた、USJTDRと質的にも肩を並べるものだと錯覚するに至らせる原因になっているのではないのであろうか。

 私がそう考えたのは、先にも書いたが、ヨッシーアイランドに長蛇の列を作る人々と、その中にいたコスプレをした集団を見たときであった。ヨッシーアイランドは、前述の通り、大人が10分以上並ぶのが馬鹿らしくなるレベルのアトラクションであったが、私が訪れた日にはおよそ40分程度の列ができていた。私は初めてスーパーニンテンドーワールドに訪れたため、一度はすべてのアトラクションに乗ってみようと思って、事前情報無しに乗ったわけだが、その中で見かけた、きっと大阪府内の大学生たちであろう、ミニオンやその他ユニバーサル映画の登場キャラクターのコスプレをした人々は、きっとUSJが格安で売り叩いている年パスやらを持っている、また、持っていないにしろ、何度かUSJに訪れたことのあるものが多かったと想像され、そんな連中が、ガキでも楽しめるか微妙なアトラクションになぜか恥ずかしげもなく並んでいるのである。彼らはどういう気持でこのアトラクションに乗ったのか想像してみたが、どう考えても、USJの質、量的アトラクション不足に目を瞑って、ヨッシーアドベンチャーでも十分楽しむために敢えて、アトラクションに対して自分の求めるノルマを低く設定しているとしか考えられなかった。

 なぜ、彼らはUSJに対して客側がサービスに譲歩するようなことをするのだろうか。私は以下の仮説を考えた。

 関西になくて関東にしかないものの最たる例として挙げられるのは、TDR霞ヶ関であろう。何なら、関西人はこれ以外は全部持っていると思っているかもしれない。だが、TDRがない、というのは、ひらかたパークネスタリゾート神戸だけでは絶対に挽回することのできない決定的な関西のウィークポイントであった。そこに2001年ついに誕生したのが、USJであった。最初、関西人は歓喜したが、蓋を開けてみると少なすぎるアトラクション数、拭えないディズニーのパチモン感に唖然とし、一度は見捨てた。しかし、2010年頃、ゴールドマンサックスが介入するなどして復活を遂げようとするUSJに、関西人の人情がはたらいて、なんとかUSJを西のディズニーリゾートにしたい、すなわち「わしらもディズニーランド持ってるで!」的気持ちを持とうという機運が高まったのではなかろうか。それに呼応するように、フォービドゥン・ジャーニー、フライングダイナソーなどの、質的にも満足させるようなアトラクションが(2つだけだが)用意されたことも相まって、関西人は、完全に関東と並んだと錯覚したのである。

 一度確立してしまった、多くの人間(関西人)の間で共有されてしまった概念をもう一度覆すことは難しい。まして、関西人にとって痛いところである「TDRがない」というコンプレックスを解消してくれた「USJTDRと並ぶような存在である」という考え方を関西人が払拭できるはずがない。関西人はいくらUSJの本当の姿が、いつまでたってもTDRのパチモンであることがわかっても、ヒルナンデスとともに、いつまでもUSJを誇りに思い続けるのである。

 この一連の関西人およびUSJの行動の理由は、「関東およびTDRへのルサンチマン」という言葉で説明できる。すなわち、USJルサンチマンによって成り立っている、または、ルサンチマンをテーマにした、テーマパークなのである。

 USJにスタジオ感は「バックドラフト」以外で感じられないし、大阪ルサンチマンランドに改名するのが、現USJをもっとも的確に表す名前であると、私は考える。

追記:私が最も好きなUSJのアトラクション

は、ウォーターワールドである。最後飛行機飛んでくるの面白い。

*1:2022年3月9日現在、いずれも変動価格制を導入しているが、大人料金が、USJが最高8900円なのに対し、TDRは9400円である。私がよく行った小学生時代は大人料金6000円程度であったのが懐かしい。また、これにはUSJが息を吹き返した2011年ごろから徐々に入園料を引き上げて、それに追随する形でTDRが入園料を引き上げて、しまいにはTDRUSJを追い抜いてしまったという経緯がある。

*2:なお、ハリウッドのユニバーサル・スタジオには、映画「ジュラシックワールド」をモチーフにしたジュラシック・ワールド・ザ・ライドがある。実際に乗っている動画↓

[NEW] JURASSIC WORLD The Ride! New INDOMINUS REX! | Universal Studios Hollywood 2021! - YouTube

*3:TDLのアトラクション、スターツアーズは2013年にリニューアルしている。その前はC-3POR2-D2の存在しない、謎のロボットが運転する宇宙船に乗るアトラクションだった。なお、私はスターウォーズを見たことはない。

【公式】東京ディズニーランド「スター・ツアーズ」が全面リニューアル「スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー」2013年5月7日(火)グランドオープン決定|東京ディズニーリゾート・ブログ | 東京ディズニーリゾート

*4:なお、私は実際に上海ディズニーランドに行ったわけではない。

[4K] Immersive Pirates Ride at Shanghai Disneyland - Amazing Ride Technology - YouTube

また、フロリダのディズニーに最近できたらしいスターウォーズのアトラクションもかなりヤバい。

[4K] Immersive Pirates Ride at Shanghai Disneyland - Amazing Ride Technology - YouTube

*5:【4K】ジャングルクルーズ - YouTube

*6:🔴USJ ジョーズ / JAWS Ride at Osaka Universal Studios Japan - YouTube

*7:令和2年国勢調査 人口等基本集計結果 結果の概要 (stat.go.jp)

気象大学校に落ちた話 後編

 前回からおそらく1年10か月ほど更新が滞っていましたが、その理由を端的に言うとさほど面白くもない話を続きものにしてしまったためにあまり書く気が起きなかったからです。

 前回の記事が読みたい人は(私は読みたくないです)読んでください。

nakako-1853.hatenablog.com

 読むのがめんどくさい人のための要約

 数物英だけで受けられるのと、校舎が母校の真横にあったために、何となく気象大学校を受験することにして、一次試験(2018年10月)に間に合うように物理の勉強をとりあえず一通り終わらせ(公立高校だったため、まともに物理を始めたのが高3の夏休みからだった)、筆記試験はそこそこ出来が良く、最後にてっきり文章力チェックだと思っていた作文試験「災害が起こった時に何をしますか」に対し、「周りを見捨てて我先に逃げる」のが最も命を守るうえで正しいと、理路整然と述べて、裏まで使って800文字も書いたのだから大丈夫と安心しながら受験会場を後にした私であった。

 

 つづき

 確か一次試験の合格発表の日は学校があり、しかも発表の9時ちょうどは情報の授業だったため、授業中に隣のN君と一緒に、学校のパソコンで合格発表のページを閲覧し自分の受験番号があることを確認した。

「うわ、なんかある」

 出来が悪いとも思っていなかったが、数学の記述式はおそらく一問も完答していなかったので、一次合格は怪しいかなと思っていたのだが、なぜか合格していた。喜んだのか喜んでいないのかは記憶が定かではない。

 一次試験合格者には二次試験が待っており、それは12月にあった。内容は、人物検査、身体検査、作文検査で、作文はすでに一次試験の日に書いたもののことだったが、合否に関わるのは二次試験に進んでからであった。

 つまり、気象大学校二次試験についてはもう勉強しなくていいのである。たまたまテスト期間にかぶっていたので、「気象大学校二次試験のため公欠」というなかなかに格好いい公欠ができることに喜びを感じながら、12月までは主としてセンター、国立二次に向けて物理を勉強していた。

 そして、気象大学校二次試験本番は、記憶は少ないのだが、一次試験でも自分の右斜め前にいた、多動性の受験生がいて少し嫌になった記憶はある。また、気象庁の旧庁舎で行ったのも覚えている。

 身体検査では、恐らく受験生の中で唯一の運動経験者(他は鉄道と音ゲーにしか興味のなさそうなやつらばかりだった)である私は最も早く身体検査を終了した。血圧か何かで精密検査をさせられていた肥満受験生が印象的だった。

 人物検査は、恐らく人事院気象大学校の人たちとの3対1の面接で、真ん中のおじいさんがとてもやさしかったため、終始和やかで、途中「得意科目に物理って書いてないけど大丈夫?」などと突っ込まれた(物理初めて数か月なのだから、無理に決まっている)が、なんとかうまくできたと感じた。

 またしても莞爾として受験会場を後にした。確かその日は駿台御茶ノ水校で「理系の地学」という冬期講座があったので、それに向かった。

 結果はセンターの数日前に発表であった。

 筆記試験はクリア、身体検査も人物検査もほどほどにOKで、もう落ちる未来が見えていなく、あとは席次だけが気になっていたが、勿論、あるいは、案の定私は落ちていた!

 原因は勿論作文である。

 ご覧あれ。

f:id:Nakako-1853:20220130215154p:plain

気象大学校入試結果開示 作文試験E判定の実際の画像

 

 他の点数も開示されていたが、そこの部分の画像は見当たらなかった。たしか、一次試験の筆記は、英語が9割、数学が7割、物理が5割くらいだった。

 センターの数日前に絶対に受かると思っていた大学校に滑ることの儚さよ!

 私は少し悔しかったが、まあ自分が正しいと思っていたことが公務員には認められなかっただけのことなので、いいやと思ってあまり気にしなかった(が、3年後にまたしても公務員試験に人物試験で落ちた今となっては、気にするべきだったのかもしれないと思っている)。

 

これは、神のお告げだったん・・・京都大学に行きなさいという、神のお告げ・・・

 

 京都大学にすでに受かっていたならばまだしも、受かる前にお告げを受けるというのもおかしな話であるが、結局わたしは、その2か月後に京都大学理学部に合格するのであった。

保護者の家庭教育での怠慢が、子供をサンタ信者にしてしまうのではないかという話

 ホームアローンを観ていたら、久しぶりに書いてみたいという気持ちになった故、書き殴る。体裁はしっかりしているかもしれないが、ほぼ推敲もしていないので、まとまりがないことについては了承していただきたい。

プロローグ

「サンタいつまで居ると思っていた?」ということについての会話は、仲良くなって半年くらい経った友人たちの間で、大体最近の出来事についての話題が尽きた際に交わされている会話だと思うが、私は今までこの手の話についていけたことが無い。なぜならば私は、そもそも、サンタがいるともいないとも思える次元に達していなかったからである。

0. サンタがいるともいないとも思える次元に達していない、とは?

 私はプロローグで、サンタがいるともいないとも思える次元に達していなかった、と書いたが、この意味が分かるのは、実際にサンタがいるともいないとも思える次元に達していなかった人間のみだと思うので、解説する。

 読者諸君のうちの数人は、私の家庭が、クリスマスに子供にプレゼントを与えない貧困家庭か、何かしらの教義に反するためにクリスマスに伴う行事を行うことが制限されている宗教家庭であることを疑っているかもしれないが、そんなことはなく、記憶にある限りは、いつかの12/24に、玄関に任天堂Wiiが入っていそうなビックカメラヨドバシカメラの包装のついた段ボール、いつかの12/25*1にリビングのクリスマスツリーの足元に任天堂Wiiの箱が置いてあったことなど(他にもいくつかあったと思う)、一応人並みのクリスマスは経験しているのである。

 では、次元に達していないとはどういう意味か?それは、そのプレゼントを見た際に、このプレゼントはサンタクロースが持ってきたものであるのかどうかなんてことは考えず、この12/25という日の朝に、12/24までに頼んでおいたものが置いてあるというシステム自体を信じたのである。

 このシステムの信仰の裏には、親が用意しているという暗黙の了解があったかもしれないが、私にとってその事実はさして重要ではなかったから、全く記憶にのこっていないと考えられる。

1. なぜ、サンタの存在是非を問える次元に達してしまうのか?

 自分でも、私のような考えに陥ることは少ないということはわかっているのだが、果たして、それはなぜなのだろうか?

 考えられる原因を列挙してみる。

 一つ目の理由が最も多い理由であると考えられる。3歳~5歳くらいから、一般の家庭では、欲しいものを何らかの方法で、何らかの対象に伝えれば、そのものが届くという形式(これは私の考えていたシステムというほどのものではない)を認識し始めると思うのだが、別にここで保護者がこれはこういうものなのだよ、と教えればいいものを、全くの信仰心も持っていないに、意味のない「サンタクロースが持ってきたんだよ」という嘘をついたために信じてしまうこどもが一定数出てきてしまうと考えられる。これは後述するが、教育の失敗に暗示しているのではないかと考えられる。

 二つ目の理由については、先行研究ではなかなか触れられてこなかったものであるが、学校及び幼稚園、保育園で強制的に練習をさせられる唱歌には、文章にプラスして音程も拘ってくるため、極めて記憶に残りやすいのではないだろうか。

 三つ目の理由については、これについては、キリスト系の学校の宗教の授業で大真面目に話す人間もいるわけで、茶化すことはできない。だが、そもそもサンタクロースって、キリスト教においてそんな主要な登場人物のひとりなのであろうか?三つ目の理由については、以下、触れない。

2. サンタを信じてしまう子供を育ててしまうのは、親の教育の失敗ではないか?

 ここが本記事の主たる部分であるのだが、1.で述べた子供がサンタクロースを信じてしまう原因は、親の教育次第でどうにか回避できるものだと私は主張する。

 まず一つ目の理由について、いくら子供であろうと、大人(親を含む)の言うことを完璧に丸のみにするというのはいかがであろうか。サンタクロースの存在を信じている子供ほど、事件に遭う確率が高い。という論文が存在することを切に願っているが、私の想像からしてきっとこの予想は正しい。

 サンタクロースが存在しないエピソードを話すときに「親が嘘をついた」などという人間が多数みられるが、それは実のところ本質をついていなく、「親が教育を失敗したので、親の嘘を見抜けるようにできなかった」いうほうが適切なのである。

 二つ目の理由についても同様なことが言える。かの有名なノーベル医学・生理学賞受賞者である本庶佑京都大学名誉教授も言っていたが、これからの時代に必要とされているのは、「教科書を信じない(疑う)」という姿勢であり、学校で歌わされたからその内容を信じる*2なんて行為は、これからの社会でのその人間の失敗を約束するようなものなのである。

 一つ目の理由と、私の主張する、親の教育でサンタ信仰を回避できなかったという事実は、子供に影響を及ぼす主体は同じであるが、行っていることは全然異なり、特に前者を私は問題視すべきではないと考える。後者は非常に由由しき行為であり、このような行為による結果が、公教育に伝播し、最終的に、大学がグライダー人間養成学校*3などと言われるようになってしまうのではないだろうか。サンタを信じさせる親が、この世の中を悪くしていると言える視点も存在すると思う。

3.「まだ弟は、サンタクロース信じているから。内緒で」に潜む違和感

 稀にクリスマスシーズンに、弟や妹がいる友人の家に行くと、そのような注意を受けた経験をしたことのある人はそこそこいると思うのだが、恐らく、そのような注意を行う長兄は、自分自身もサンタクロースを信じていた経験と、その信心が裏切られたという経験があり、それを踏まえて、私に注意をしているのだと思うが、この行為は、自らの一族を破滅*4へと追い込む手段として極めて有効であると考えられる。

 前章にて、親が、自分の嘘さえ見抜けない子供を育ててしまうということが、その子供のグライダー人間化を助長すると述べたが、もし、その子供が、さらにこのような行為を行うならば、それは他人の航行を邪魔する穴の開いたグライダー人間であると言わざるを得ない。

 おそらく、私に注意をしてくる人間は、弟たちのためを思って、そのような行為を行っているつもりなのであろうが、それは建前であり、実際のところ、自分がサンタクロースを信じていたという事実を正当化、または普遍化するために、新たな犠牲者を生み出そうとしているのである。これは極めて悪質な行為である。

 すべての子供の行動が親の責任問題につながるとは思わないが、他人を陥れる行為をするような人間が育つには、親の影響が極めて大きいであろう。これも、どう考えても親の重大な失敗である。

 すなわち、ある家庭の12/25において、親が子供にサンタクロースがプレゼントを持ってきたのだと嘘をつき、その嘘を子供が見抜くことができなくて、かつまた何年後かの12/25にその子供が自分の兄弟に気を遣うような状況が起こってしまったのならば、その家系の将来は決まったようなものであろう。そんな状況を作り出してしまった父母は、今まで現代までこの遺伝子を受け継いでくれた先祖(勿論サンタクロースが誕生する前までさかのぼる)にたいして詫びなければならない。

4. まとめ

 私は全く、サンタクロースを信じる道筋を辿らなかったわけだが、別に親の教育が正しかったとも思っていない*5ので、1.~3.は全部嘘です。メリークリスマス!

*1:B'zのいつかのメリークリスマスについては、いつかのメリークリスマス B'z - YouTubeを参照

*2:イカロスは飛んでいないことなんて容易に想像がつくのに、なぜサンタクロースの存在は信じてしまうのだろう?

*3:外山滋比古『思考の整理学』より。東大京大生によく読まれていると書いてあったので、何となく読んでみたが、覚えている内容がこれだけであった。グライダー人間とは、風を受けなければ飛ぶことのできない人間、即ち自分で考えることのできないい人間のことである。Amazon.co.jp : 思考 の 整理 学

*4:生物的にではなく、社会的に

*5:そもそも教育された記憶がない

令和二年度 我孫子市成人式 第一部 謝辞

 謝辞

 まず初めに、短縮した形式でありながらも、こうして成人式が開催できていることに、我孫子市の皆さま、運営委員の皆さまへの感謝を申し上げたいと思います。(わたしをはじめ、我孫子を離れた者も多い中で、我孫子で少年期、青年期を過ごした皆が一堂に会することは、おそらくこの時を除いて再びないでしょう。)本当にありがとうございました。

 近年の成人式の謝辞や誓いでは、グローバル化だとか、AIを引き合いに出して、恰もターミネーターのような世界でいかに生き抜くかを語る演説も多いようですが、今年は、もう少し身近なところから考えていきましょう。

 新成人となった我々が常に念頭に置いていかなければならないことは、「自分の環境が普通ではない」ということです。何もこれは、自分がこうして生きてこられたのは、全て家族や先生のおかげなのだから、常にその人たちへの感謝の気持ちを持って生きなさい、という陳腐なお題目を唱えたいわけではなくて、様々なステータスを持つ人間が集うこのホール内で、自分を相対化しろということを言いたいのです。つまり、自分は絶対的な普通ではないことを自覚するのです。

 これを言い換えれば、全員がそれぞれ特殊な人間ということになります。みんな違ってみんないい。金子みすゞの言葉が思い出されますが、彼女のようにただ肯定するだけでは、良い人止まりで、立派な人とまではいかないでしょう。

 私たちは肯定するだけでなくて、理解しなければならないのです。なぜ私と他人は違うのか、何が私と他人を他の人間たらしめているのか、それを考えることで、この混沌とした世の中への理解、他者に対する寛容につながり、多くの蟠りを解消できるのではないでしょうか。

 自分の他者と異なることをしっかりと自認すると、次いで自分が大きな社会の一つの小さな駒に過ぎないことが実感されると思います。でも、それでいいのです。私たちは一つ一つの小さな駒ながら、駒同士でネットワークを張り巡らせて社会という生き物を形成しているからです。(逆に言えば、だからこそ、私たちは他者を理解しなければならないのです。だから、この様々なステータスを持つ友人たちと出会えた我孫子に住むことができたことについて、私たちは家族に感謝の言葉を述べなければなりません。ありがとう。)

 しかし、ネットワークを張り巡らせすぎると、その集団、組織内から外が見えなくなってしまいます。また、このネットワークは自省機能を持ち合わせにくいです。例えば、「今となってはいい思い出」と小中学校の時のパワハラ・セクハラを正当化する風潮がいい例です。部活動での頭髪の強制や無意味な規律の押し付け(人権侵害)が今でもこの世の中に残っていることが2021年を生きる私としては信じられません。かつて管理教育の牙城と呼ばれた我孫子市だからこそ、率先してできる行動が残っていると思います。これからの我孫子に期待です。

 二〇二一年一月十日 中小路一真

 

※()部分は原稿にはあったがそこまで重要な部分でないので、限られた時間だということもあり当日は省略した。

気象大学校に落ちた話 前編 

 地学受験記として書き始めたこのシリーズですが、今回は、受験科目に地学がない気象大学校の受験記を書きます。

 気象大学校の存在を知ったのは、私の高校の先輩が入学したのを知った時か、それより前だったか、ほとんど記憶にありませんが、気象大学校は東大合格者が滑り止めに受けるような難関校だと認識していたのは覚えています。実際はそんなことはないようでしたが。

 

 文部科学省管轄外の大学校で、まず最初に思い浮かぶのは防衛大学校でしょう。その次に防衛医科大学校が出てくる人も少なくないはずです。私は3年のごくごく初期には、物理と化学で受験する予定だったので、10月に力試しで防衛医科大学校を受けようと思っていました。しかし、前述のとおり、私は化学と袂を分かつことを決意したため、防衛医科大学校の代わりに、気象大学校(なんと私の母校のほぼ隣にある)を受けようと思ったのです。

 

 正直、難易度がかなり高いイメージがあったので、受かるとはおもっていませんでしたから、夏の終わりにあった出願もほぼ忘れかけていましたが、ぎりぎり人事院に自分の個人情報を提供することに成功したのでした。

 

 その後、9月に入ってから、ろくな解答、対策も書いていない、且つ、2年分しかなくかなり薄っぺらい癖に京大の赤本より高値の2400円くらいで売っていた「気象大学校海上保安大学校」(問題が一部共通している)を購入し、何となく対策をし始めました。

 

 気象大学校の入試は、一次試験と二次試験に分かれていて、一次試験では多肢選択式の①基礎能力試験(公務員試験と同じような問題)と②学科試験(センターレベルの英語、数学、物理)と、記述式の学科試験(英語、数学、物理)が課されます。二次試験は、面接、身体検査、作文で、二次試験まで進めば、よほどコミュニケーション能力に欠陥がない限り落ちることはないです。だから、学校内でも積極的に活動して、たぐいまれな明るさで周りに人が集まってくる、幸せな高校生活を送る運動部の私が二次試験まで進んだ場合は、ほぼ自動的に二次試験も突破できるはずなのでした。

 

 とりあえず赤本の問題に目を通したところ、まず最初に基礎能力試験が、かなり難しいことに気が付きました。前半の知能分野が、明らかに特別な対策をしなければ対処できない問題であることがまずわかり、(詳しくは「判断推理」で検索してください)後半の知識分野も、別に難問が出ているというわけではないのですが、公務員というのは博学であることが求められているのか、高校の科目のほぼすべての科目の問題が、各科目につき1~2問出題されていて、正直受験で使わない教科は興味のあることしか記憶していなかった私は苦戦を強いられることを予測しました。

 

 その次の多肢選択式の学科試験(英語・数学・物理)はセンターレベルでしたが、記述の学科試験(英語・数学・物理)がかなり難しそうで、英語はおもに長文の読解・和訳と、空欄補充型の英作文という王道セット。数学は出題範囲がだいたい決まっていて、誘導も多いのですが、最後の方の設問はかなり難しく、物理については、私が9月の時点で教科書を一周できていたかも怪しいぐらいだったので、国立二次レベルの問題が解けるはずありませんでした。正直、数学、英語はセンスと運でどうにかなりそうだったので物理を早急に対策しなければならないと判断しました。

 

 10月終わりにある試験までのプランは次のようでした。

 

「まずは熱力学の範囲と電磁気の範囲(気象大の物理は力学・熱力学・電磁気)の教科書レベルの知識を『体系物理』で定着させたのち、『京大の物理25ヶ年』で入試問題の演習を重ねる。そして試験数日前から、基礎能力試験の知能分野の対策。知識分野は自分の常識力を信じる」

 

 私の気象大入試はかなり順調に進んだようで、京大の電磁気の問題は一度も解けず、入試の2日前、ジュンク堂で判断推理の参考書を買い、1日で読破し、もう1日で完全に解法を忘れることまでできました。

 

 以下、気象大学校一次試験に一人挑んだ、ある男子高校生の手記を記します。

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも受かる気がしていなかったから、前日も緊張することなく、朝起きても、これから模試を受けるような気分であった。僕が気象大学校を受けることは、皆、風のうわさで耳にしていただろうが、試験日は言わなかったので、家族は既にみな外出していて、起きると一人だった。台所で適当な食事を見つけ、漫然とテレビを見ていたら、もう10時過ぎになっていた。試験会場の帝京大学板橋キャンパスまでは自宅の最寄り駅からおよそ1時間20分くらいかかるから、12時の受け付け開始に間に合うためにはもう出ないといけない。憂鬱と億劫をどちらも感じながら、張り切ることなく家を出た。

 

 如何せん、試験3日前まで試験日を間違えていたほど気象大入試に本気になっていなかったから、十条駅から帝京大学板橋キャンパスの試験会場までの道のりを迷わずに進めるはずがなく、広大なキャンパス内を少し迷走したが、何とか大勢の高校生らしき人影が集まる場所に辿り着いた。どいつもこいつも、同じような、この世の楽しさの数パーセントしか体験したことのなさそうな顔をしている。試験会場の自分の席は真ん中後ろあたりで、覚えているのは、試験開始直前まで、足を組み猫背でスマートフォンの画面に噛り付き、華美な格好をした女性たちを躍らせるゲームをしていた男と、散々シャープペンシルを使うなと言われていたのにも拘らず大量のシャープペンシルを机の上に広げ、試験開始直前に試験監督に仕舞うよう促され、突然焦りだした隣の席の男である。前者は、一日目の作文試験を退出可能な時間になった瞬間に打ち止め、まるで学科試験も作文も完璧なような風を装っていたが、どうやら一次試験で落ちたらしい。後者はなんと二次試験で再び見かけたが、相変わらず得体のしれない動きをしていた。

 

 

 一日目の科目は学科試験と作文で、英語・数学・物理のマーク式の問題と、課題を与えられての作文であった。ほとんどの受験生は気にしないが、一日目の作文は、第一段階選抜には利用されず、第二段階選抜に利用される。

 

 試験を受ける段階で、英語・数学・物理は、その時点で、センターでも満点近くをとれる実力があったから、かなり気楽に解けた。しかし、多くの受験生もそうだったのだと思うのだが、この学科試験、試験時間が長すぎるのだ。三教科に対し三時間というのは妥当かもしれないが、センターレベルのマーク式であれば、一時間強あればすべて塗り終わってしまう。退出して帰れればよいのだが、学科試験の次には作文試験が控えているから、そういうわけにもいかなかった。おそらく寝てはいないと思うのだが、二時間弱も見直しをし続けられるはずもなく、教室の様子をずっと窺っていた。確かこの時、中学の同級生が同じ教室にいることを確認した。中学の時から「気象庁で働きたい」と言っていたが、二次試験で彼女を見ることはなかった。衝動的に受けることを決意した私が二次試験まで進んで、彼女が落ちるのは少しばかり悲しい気もする。しかしそれが実力である。

 

 作文のテーマは「自然災害が起こった時あなたはどんな行動をとりますか」のようなことで、小学校の時分から作文が得意であった私は、その才能を遺憾なく発揮した。指定された文字数は600字以上であったが、私は裏まで使って約800字の作文を書いたのだ。

 

 自然災害が起こった時、我々、人間はまず何を考えるべきだろうか。答えは簡単である。自分の身を守ることである。では、その目標のためにどのような手段をとるべきか。私はそこに重点を置いて書き始めた。まず、頭に浮かんだのは、東日本大震災の時、ある市町村が、さして海抜の高くない役所の前に災害対策本部を設置して、その後津波によって流されてしまったという事例だ。単なる危機予知能力の欠如であることは間違いないが、私は、高校の政治経済の授業で習った二つの言葉をこの事例に当てはめた。「正常性バイアスと、多数派同調バイアス」である。前者は、自分にとって不利な情報を矮小化または遮断して、災害において言えば、自分に害は及ばないという風に考えることで、後者は、周りに大勢がいると、とりあえずそれに合わせようとすることである。この二つは災害において非常に良くない。おそらく、この事例においても、まさかここには津波は到達しないだろうという浅はかな推測だったり、だれもそのことについて言わない状態があったのではないかと考えられた。そのことを踏まえて私は、災害時にどのような行動をとろうと思ったか。

 

それは、誰よりも先に、電光石火疾風迅雷の如く、その場から遁走することである!

 

下手に集団内に長居すると、いずれのバイアスの悪影響も受けて、ますます自分の死期を引き寄せることになってしまう。私は、このような至極まっとうな論理的演繹ののちに、その結論に達し、それを威風堂々と書き上げ提出したのである。

 

 一日目の試験が終わった後の私の心は満たされていた。多肢選択はおそらくほぼ満点の上々の出来。作文試験は、元来の作文能力を生かし、採点官も感涙せざるを得ない名文を書き上げたと、莞爾として帝京大学板橋キャンパスを後にしたのである。

続く

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