ナカ故事

生きる教訓...

気象大学校に落ちた話 前編 

 地学受験記として書き始めたこのシリーズですが、今回は、受験科目に地学がない気象大学校の受験記を書きます。

 気象大学校の存在を知ったのは、私の高校の先輩が入学したのを知った時か、それより前だったか、ほとんど記憶にありませんが、気象大学校は東大合格者が滑り止めに受けるような難関校だと認識していたのは覚えています。実際はそんなことはないようでしたが。

 

 文部科学省管轄外の大学校で、まず最初に思い浮かぶのは防衛大学校でしょう。その次に防衛医科大学校が出てくる人も少なくないはずです。私は3年のごくごく初期には、物理と化学で受験する予定だったので、10月に力試しで防衛医科大学校を受けようと思っていました。しかし、前述のとおり、私は化学と袂を分かつことを決意したため、防衛医科大学校の代わりに、気象大学校(なんと私の母校のほぼ隣にある)を受けようと思ったのです。

 

 正直、難易度がかなり高いイメージがあったので、受かるとはおもっていませんでしたから、夏の終わりにあった出願もほぼ忘れかけていましたが、ぎりぎり人事院に自分の個人情報を提供することに成功したのでした。

 

 その後、9月に入ってから、ろくな解答、対策も書いていない、且つ、2年分しかなくかなり薄っぺらい癖に京大の赤本より高値の2400円くらいで売っていた「気象大学校海上保安大学校」(問題が一部共通している)を購入し、何となく対策をし始めました。

 

 気象大学校の入試は、一次試験と二次試験に分かれていて、一次試験では多肢選択式の①基礎能力試験(公務員試験と同じような問題)と②学科試験(センターレベルの英語、数学、物理)と、記述式の学科試験(英語、数学、物理)が課されます。二次試験は、面接、身体検査、作文で、二次試験まで進めば、よほどコミュニケーション能力に欠陥がない限り落ちることはないです。だから、学校内でも積極的に活動して、たぐいまれな明るさで周りに人が集まってくる、幸せな高校生活を送る運動部の私が二次試験まで進んだ場合は、ほぼ自動的に二次試験も突破できるはずなのでした。

 

 とりあえず赤本の問題に目を通したところ、まず最初に基礎能力試験が、かなり難しいことに気が付きました。前半の知能分野が、明らかに特別な対策をしなければ対処できない問題であることがまずわかり、(詳しくは「判断推理」で検索してください)後半の知識分野も、別に難問が出ているというわけではないのですが、公務員というのは博学であることが求められているのか、高校の科目のほぼすべての科目の問題が、各科目につき1~2問出題されていて、正直受験で使わない教科は興味のあることしか記憶していなかった私は苦戦を強いられることを予測しました。

 

 その次の多肢選択式の学科試験(英語・数学・物理)はセンターレベルでしたが、記述の学科試験(英語・数学・物理)がかなり難しそうで、英語はおもに長文の読解・和訳と、空欄補充型の英作文という王道セット。数学は出題範囲がだいたい決まっていて、誘導も多いのですが、最後の方の設問はかなり難しく、物理については、私が9月の時点で教科書を一周できていたかも怪しいぐらいだったので、国立二次レベルの問題が解けるはずありませんでした。正直、数学、英語はセンスと運でどうにかなりそうだったので物理を早急に対策しなければならないと判断しました。

 

 10月終わりにある試験までのプランは次のようでした。

 

「まずは熱力学の範囲と電磁気の範囲(気象大の物理は力学・熱力学・電磁気)の教科書レベルの知識を『体系物理』で定着させたのち、『京大の物理25ヶ年』で入試問題の演習を重ねる。そして試験数日前から、基礎能力試験の知能分野の対策。知識分野は自分の常識力を信じる」

 

 私の気象大入試はかなり順調に進んだようで、京大の電磁気の問題は一度も解けず、入試の2日前、ジュンク堂で判断推理の参考書を買い、1日で読破し、もう1日で完全に解法を忘れることまでできました。

 

 以下、気象大学校一次試験に一人挑んだ、ある男子高校生の手記を記します。

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも受かる気がしていなかったから、前日も緊張することなく、朝起きても、これから模試を受けるような気分であった。僕が気象大学校を受けることは、皆、風のうわさで耳にしていただろうが、試験日は言わなかったので、家族は既にみな外出していて、起きると一人だった。台所で適当な食事を見つけ、漫然とテレビを見ていたら、もう10時過ぎになっていた。試験会場の帝京大学板橋キャンパスまでは自宅の最寄り駅からおよそ1時間20分くらいかかるから、12時の受け付け開始に間に合うためにはもう出ないといけない。憂鬱と億劫をどちらも感じながら、張り切ることなく家を出た。

 

 如何せん、試験3日前まで試験日を間違えていたほど気象大入試に本気になっていなかったから、十条駅から帝京大学板橋キャンパスの試験会場までの道のりを迷わずに進めるはずがなく、広大なキャンパス内を少し迷走したが、何とか大勢の高校生らしき人影が集まる場所に辿り着いた。どいつもこいつも、同じような、この世の楽しさの数パーセントしか体験したことのなさそうな顔をしている。試験会場の自分の席は真ん中後ろあたりで、覚えているのは、試験開始直前まで、足を組み猫背でスマートフォンの画面に噛り付き、華美な格好をした女性たちを躍らせるゲームをしていた男と、散々シャープペンシルを使うなと言われていたのにも拘らず大量のシャープペンシルを机の上に広げ、試験開始直前に試験監督に仕舞うよう促され、突然焦りだした隣の席の男である。前者は、一日目の作文試験を退出可能な時間になった瞬間に打ち止め、まるで学科試験も作文も完璧なような風を装っていたが、どうやら一次試験で落ちたらしい。後者はなんと二次試験で再び見かけたが、相変わらず得体のしれない動きをしていた。

 

 

 一日目の科目は学科試験と作文で、英語・数学・物理のマーク式の問題と、課題を与えられての作文であった。ほとんどの受験生は気にしないが、一日目の作文は、第一段階選抜には利用されず、第二段階選抜に利用される。

 

 試験を受ける段階で、英語・数学・物理は、その時点で、センターでも満点近くをとれる実力があったから、かなり気楽に解けた。しかし、多くの受験生もそうだったのだと思うのだが、この学科試験、試験時間が長すぎるのだ。三教科に対し三時間というのは妥当かもしれないが、センターレベルのマーク式であれば、一時間強あればすべて塗り終わってしまう。退出して帰れればよいのだが、学科試験の次には作文試験が控えているから、そういうわけにもいかなかった。おそらく寝てはいないと思うのだが、二時間弱も見直しをし続けられるはずもなく、教室の様子をずっと窺っていた。確かこの時、中学の同級生が同じ教室にいることを確認した。中学の時から「気象庁で働きたい」と言っていたが、二次試験で彼女を見ることはなかった。衝動的に受けることを決意した私が二次試験まで進んで、彼女が落ちるのは少しばかり悲しい気もする。しかしそれが実力である。

 

 作文のテーマは「自然災害が起こった時あなたはどんな行動をとりますか」のようなことで、小学校の時分から作文が得意であった私は、その才能を遺憾なく発揮した。指定された文字数は600字以上であったが、私は裏まで使って約800字の作文を書いたのだ。

 

 自然災害が起こった時、我々、人間はまず何を考えるべきだろうか。答えは簡単である。自分の身を守ることである。では、その目標のためにどのような手段をとるべきか。私はそこに重点を置いて書き始めた。まず、頭に浮かんだのは、東日本大震災の時、ある市町村が、さして海抜の高くない役所の前に災害対策本部を設置して、その後津波によって流されてしまったという事例だ。単なる危機予知能力の欠如であることは間違いないが、私は、高校の政治経済の授業で習った二つの言葉をこの事例に当てはめた。「正常性バイアスと、多数派同調バイアス」である。前者は、自分にとって不利な情報を矮小化または遮断して、災害において言えば、自分に害は及ばないという風に考えることで、後者は、周りに大勢がいると、とりあえずそれに合わせようとすることである。この二つは災害において非常に良くない。おそらく、この事例においても、まさかここには津波は到達しないだろうという浅はかな推測だったり、だれもそのことについて言わない状態があったのではないかと考えられた。そのことを踏まえて私は、災害時にどのような行動をとろうと思ったか。

 

それは、誰よりも先に、電光石火疾風迅雷の如く、その場から遁走することである!

 

下手に集団内に長居すると、いずれのバイアスの悪影響も受けて、ますます自分の死期を引き寄せることになってしまう。私は、このような至極まっとうな論理的演繹ののちに、その結論に達し、それを威風堂々と書き上げ提出したのである。

 

 一日目の試験が終わった後の私の心は満たされていた。多肢選択はおそらくほぼ満点の上々の出来。作文試験は、元来の作文能力を生かし、採点官も感涙せざるを得ない名文を書き上げたと、莞爾として帝京大学板橋キャンパスを後にしたのである。

続く

余談

たしかこの話を執筆し始めたのが2019年11月くらいで、これを書いているのが2020年3月12日である。ただ、それだけ。