ナカ故事

生きる教訓...

答辞執筆当時の話 前編

 高校の卒業式から5か月ほど経つそうですが、距離もかなり離れてしまったためか、東葛のことは遠い記憶のように思え、余計に懐かしく感じます。

 自分で言うのもなんですが、三年次の私は実に活力にあふれていました。合唱祭の有志団体をほぼ一人で運営し(かなり計画は難航し、二個目の計画は頓挫しましたが)、クラス内で体育祭を企画したり、文化祭では訳のわからない発表をたくさんしました。

 私も、私のことを知っている人も強く印象に残っているのは、卒業式の答辞でしょうか。特に全校で目立ったことはやってこなかったので、高校三年間で三大祭委員長をやられた方ほどの知名度はなかったはずですが、私含め立候補者が3人しかいなかったので、おまけでやらせていただきました。

 東葛で答辞を読みたいと思ったのは中学3年の冬です。かつて我孫子中学校の生徒会長を務めていた私は、卒業式で答辞を読むことになりました。ただの公立中学校ですから、国語の先生の大まかな指示や、過去の答辞を参考にしながら、色味のない使い古された表現および構成で書き上げるものでした。記憶が曖昧ですが、答辞を書く時点で東葛に合格していた私は、興味本位で「東葛 答辞」と検索してみました。今では、このブログの記事が一番上に来るようですが、その頃は「ひのきみ通信」という千葉県教職員組合の機関紙のようなものの、各校の卒業式(90年代)をまとめた記事が出てきました。このころはぎりぎり学生運動のにおいが感じられていたようで、例えば小金高校は日の丸を掲揚しようとする校長と生徒が対立して、生徒司会の卒業式を行った。と書いてあります。東葛は大抵のことを小金より先にやっていますから、東葛も生徒主体で卒業式を行っていたのでしょうか?今の2部にその痕跡がたどれるかもしれません。

 その「ひのきみ通信」の記事の中に、東葛(98年)の答辞が載っていました。

Spring has come! ばねが来た。いいえ、そうではありません。春が、やって来たのです。

 その完璧な書き出しののち、続く言葉の数々のなんと鮮やかであること。私は、いくつものユーモアを交えながら、こんなにも面白いだけに留まらない文章が書けることに驚嘆しました。一度読んであまりの衝撃に内容を忘れ、二度読んで胸の高鳴りを感じ、三度読んで自分にはこんな文章は書けないと落胆しました。しかし、この答辞は一生手元に置いておきたいと思って、いつ消えるかわからない、このネット上の文章を原稿用紙に書き写したのを覚えています。最後にページのリンクを載せておきます。

 結局、中学の答辞は、つまらないの一言に尽きる、普通の答辞に終わりました。私は普通が大嫌いです。

 知る人ぞ知ることですが、私は高校一年の時、生徒会選挙に出馬しました。いろいろ理由はあったのですが、生徒会に入ったほうが答辞が読みやすいと思ったのも一つの理由です。

 なんやかんやあって生徒会役員にはなれませんでした。その後はごく普通の楽しい東葛LIFEを送って高3の冬に至ります。受験がそろりそろりと近づいていた1月、もうすぐ卒業式であることに気づいた私は、偉大な先輩が遺した、あの衝撃的な書き出しを思い出しました。「印象的な冒頭を作らなければならない」という至上命令を抱えて1週間ほど過ごした時でしょうか、床に就いて目をつぶりながら冒頭部分を考えていると、新品のスーツを着て国道6号線の下の地下通路を抜けた光景と、国境の長いトンネルを抜けた光景が、一致したのです。

エウレカ

 とは叫んでいませんが、目を見開き、暗闇の中自身の才能に畏怖して大きく笑いました。この答辞を読みたい、とまだ中身はどうするかもきまっていないのに強く思いました。そうして、答辞の立候補を受け付けていると聞いた私は、即座に卒業式対策委員長のもとへ向かったのでありました。(つづく)

 

 本当はこの記事で、例の答辞の随所にちりばめられた小ネタを全部拾う、という読者の小ネタを見つける楽しみを奪うネタバレを行おうと思ったのですが、冒頭部分については思い入れが深かったので、ここまで長くなってしまいました。後編に続きます。

・なぜ今更書くのか?

 いまだに答辞のネタを引きずっているのはダサいですか?僕、自分の書いた文章読むの大好きなので、何回も読むのですが、今回の答辞は読むたびにアドレナリンがドバドバなるくらいの力作でした。しかし当日の反応を見ても(僕が早口だったのはありますが)、すべてのことを拾えている人は少なかったようで、変に滑ったとも思われるのは嫌なので、解説を書こうと思いました。

 卒業式から数日間は1日に何百PVもあって、わくわくしながらアクセス数のページを覗いていましたが、今では月に20PV程度です。ブログの更新をTwitter等で宣伝するつもりはありませんから、こっそりできますし、もう答辞のことなど皆忘れているだろうと思って、久しぶりに答辞の記事を読んだ人が、たまたま見つけたらうれしいと思えるように今から書きます。

 しかし、新生活が始まって書き始めた日記が四日坊主であったように、後編を書かない可能性も存分にあります・・・

 

 

「答辞集 第二部 ひのきみ通信」

http://hinokimitcb.web.fc2.com/html/98/touji2.htm

 ひのきみ通信のトップページを見ると赤地に白い字で「ルール違反だ安倍晋三」と書いてあります。日の丸や君が代について意見のあるような団体のようです。だから卒業式の特集をしたのでしょう。

 ちなみに「三年間で私たちは大きく変わりました。式典の日の丸の位置も三年間で大きく変わりました」という文が、初稿では入っていました。