ナカ故事

生きる教訓...

答辞執筆当時の話 後編

 2000字のレポートの書く気は起きないのに、誰が見るかもわからない文章を書きたくなってしまう性分です。

 

 前回長く語った書き出し、川端康成『雪国』のパロディの部分ですが、聴衆に通じるかどうかがとても心配でした。本番はかなりウケていたので、たいていの東葛生は理解できたようです。三年間、自分としては渾身のギャグであったのに、先生にしかウケていないことがしばしばありました。最近は凋落の一途を辿っているといっても、学力上位層に属するであろう東葛生たるもの、文芸や政治にも興味を持ち、それを利用して笑いを取れるぐらいの教養を持ち合わせるべきではないでしょうか?広く浅くでよいですから、世の有名なものについて知識を身につけようとすることが大事だと思います。因みに私は『雪国』を読んだことはありません。

 次の段落、「期待とクリアファイルを胸に抱え」などは見事な表現だと自分でも感心してしまいます。その次の「前衛的すぎる自己紹介」は事実です。嫌な記憶ではありますが、この経験のおかげで、新しい環境での最初の行動は慎重に行うべきだという教訓が得られました。後から考えると恥ずかしい記憶というのは、これからの人生に大きく活かせるものです。

 「あれから三年たち~」からの段落が、この答辞のなかで最も気に入っている部分です。東葛生は勿論全員が分かったでしょう。東葛飾高校が輩出した大先輩、桜田義孝オリンピック・パラリンピック担当大臣(当時)の答弁です。

 

多くのスタッフの協力に基づく答弁書を、間違いのないように読むことが最大の仕事だ

                桜田義孝・オリンピックパラリンピック担当大臣

 

 最も有名な東葛出身者と言えば、桜田義孝サンプラザ中野の名前が挙がると思っていましたが、今回の失言で桜田義孝がOBであることを知ったという人も多いようです。後輩に「誰ですか?それ」と真顔で言われた悲しい記憶がよみがえります。地元の有名な政治家、ましてや自分の高校のOBであるならそれくらい知っておけよと思ってしまうのは傲慢でしょうか。なんだか、最近の若い人は興味のないことについて完全に情報をシャットアウトしてしまうような気がします。今はネットでなんでも調べられますから、情報の真偽は判定するとして、身近に存在するものについて最低限の知識は持ち合わせるべきです。

 答辞は、大抵の場合三年間の思い出を振り返って、あとは適当に各所に感謝を述べてお涙頂戴で終わりです。ああつまらない。思い出を振り返るとなっても、三大祭にばかり集中して、どれも本番までの準備期間で生徒が主体となって活動する東葛生を称賛して時間いっぱい。このような内容でも悪くないとは思いますが、どうも毎年同じ話をしているようで、東葛生らしく「個性」を出せているのか甚だ疑問です。特に高校からの卒業ともなれば、社会へ出ていく第一歩となるわけですから、これからどう生きていくか、という決意を語ったほうがいいと思ったわけです。余談ですが、卒業式で、定番曲である「旅立ちの日に」を歌うのはどうかと思います。突然中学校の陳腐な卒業式のような雰囲気が漂いませんか?たいていの生徒が練習なしに歌えるためにこの曲にしているのかもしれませんが、予餞会で歌っている曲を卒業式に使ってもいいのではと思います。

 次の段落からは、東葛生が「変人」としばしば形容されることから、これからの社会でどう行動していくかについて論じています。しかし、全国的に「変人の集い」と形容される大学に入った今読み返してみると、自ら変人を自称することのダサさを感じてしまい、若干恥ずかしいです。

 山月記のパロディがあるものの、今までと一転して真面目なことを語っているこの部分は、私立武蔵高校の2016年度の卒業式の答辞にインスパイアされて書きました。どう笑いを取るかばかり頭に浮かんで、メインの話が思い浮かばなかったときに、『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』という新書に、とんでもなく面白い答辞が載っていると知り、ジュンク堂に立ち読みしに行きました。その内容は、若いうちにはいくら過激でもいいから自分の思想を持ちなさいということで、見事な演説調で書かれていました。しかし、読み終わって、自分にもこれは書けるかもと思い、三年間ひたすらに思い続けた、「東葛生は同調ばかりして非生産的である」ということを堂々と言おうと思いました。物事を批判する文章を書くのは頗る得意なのでスラスラかけました。

 「文明開化」という言葉や、突如現れるidealという横文字は福沢諭吉が頭にあったからだと思います。明治維新のころの、進んで外国のものを取り入れて日本風にしていくという過程は非常に生産的だと思いませんか?そのような気持ちで日々ありたいものです。

 「賢い変人」となれと書いたのは、東葛生の学力低下を嘆いてのことです。最近の東葛生は、そもそも上を目指す人が少ないと思います。東葛内申点偏重なこともあり、もとの学力が足りない人もいるでしょうが、人間一度は東大に行こうと思うべきです。

 「事実、私は、雪国のパロディで」から始まる一文は当日のアドリブです。

「AIにまけるな」の件は、「最近話題だしとりあえず入れておくか」という浅はかな気持ちでAIについて書いていましたが、あまりうまく書けなかったので、前校長の名前を出せばとりあえずウケるだろうと思って少しだけ書きました。

 エンディングは、冒頭の地下通路を抜ける光景と対照的に、地下通路を戻って、東葛通りを戻る情景を描きたい、と自然な発想から生まれました。「東葛通り」という固有名詞が認知されているのか微妙でしたが、伝わったようです。ここについてはただのダジャレなので詳しく書くことはないです。しかし、三年間通った道を歩いていくという演出は、笑いを取るというより、感動させようと思って書いたこと、そして卒業式の帰り道に、私の答辞を思い出しながら、友人や保護者と、一歩一歩東葛通りを歩いていってほしいなと思って書いたことは記しておきます。

・台湾の高校生の前でWe Are The World

2016年度、台湾の高校生が東葛を訪れ各クラスに分配されて親睦を深めあうイベントがあった。1-G は親睦会の最後に全員でWe Are The Worldを熱唱?した。

・大勢で歌えバンバン

2018年度合唱祭で、有志団体「我孫子少年合唱団」が「楽しい発声のドリル」「歌えバンバン」「ドリフ大爆笑エンディングテーマ」を合唱した。

五・一五事件

私の個人的な経験。

・「いろは」

 現「とらとら」の旧店名、カレーやスパラーを出していた。

・「とらとら」

謎の定食屋。

・「ピグマリオン

地下通路出てすぐ右に見える小学生向けの塾の名前、調べるとギリシャ神話の登場人物の名前が。

・「クラーク」

クラーク国際記念高校から。

・「王道」

現Timesにあったこってりラーメン屋「王道屋」から。

・「音」

王道屋閉店後に開店したラーメン屋から。

・「東葛生に誉あれ」

角にあるこってり系ラーメン屋「誉」から。

 

 これですべての説明は終わりました。お気づきでしょうが、私の答辞は90%がパロディです。卒業式でこのようなテイストでの答辞が今までになかったことと、僕のしゃべり方も相まって、評判はよさそうでしたが、所詮パクリのつなぎ合わせです。それでも、本論の部分(理想的な東葛生)は信念をもって書き上げましたので、私の答辞をただのネタ枠だと捉えられると少々悲しいです。

 他二人の立派な答辞に比べれば、私のは薄っぺらいものだったと思います。しかし、こんな答辞は東葛で三年間を過ごさなければ書けなかったと思います。そのような時間を共に過ごせる仲間は大事です。きっと桜田大臣も、東葛で立派な仲間を持てたから、多くのスタッフへの感謝の気持ちを持ちながら、答弁書を読むことができたのでしょう。

おわり