ナカ故事

生きる教訓...

東葛飾高校平成30年度卒業式答辞①

  国道の下の長いトンネルを抜けると、東葛であった。中学棟の底は元から白かった。駐輪所にチャリが止まった。

  入学当初のまだ東葛に慣れてない日々を思い出せば、期待とクリアファイルを胸に抱え、通用門を通ったあの光景が思い浮かぶ---と思いきや、実際に思い起こされるのは、入学してまだ数日の頃、前衛的すぎる自己紹介をし、教室に異様な雰囲気の立ち込めたあの時の、クラスメイトの優しくも冷ややかな目線であります。

  あれから約三年経ち、答辞の一番目という大役を任命されました。これも三年間お世話になった、友人、教員の皆様方のおかげであり、今の私にとっては、多くの人々の協力に基づく答辞を、間違いのないように読むことが最大の仕事であります。


  さて、次は私の東葛での三年間といきたいところではありますが、思えば、それはカープが三連覇をする間に終わってしまい、思い出したくないことも多いので振り返りません。


  私たちは、在校生含め、一応、厳しい受験競争を経て、この東葛での自由を勝ち取った。と言えなくもないわけでありますが、全員が恐らく進むであろう次なるステージの大学、そしてその先の社会で、我々が今まで通り歩を進めることが出来るか、と考えると、それは微妙なところであります。

  ならば、不本意な人生を送らないために何を心に留めればよいのか。それは「東葛生」になることだと思うのです。

  しかしそれは、例えば、遅延証という無敵のベールを身に纏い、エリーゼを聴きながら悠々と教室まで歩くようなことではなく、ジャージか、私服かとハムレットばりの選択を朝に行うようなことでもありません。

  私の意味したい東葛生とは、カギカッコ付きの東葛生でありまして、即ち、idealな東葛生であります。

  されど、idealな東葛生といっても、「知を求め、美を愛し、創造性、感受性に優れ、一度諧謔を捻れば噺家のよう、また、博学才穎、天宝の末年、若くして虎榜に名を連ね、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしない」ことを理想的と掲げてしまえば、本当の意味で東葛が動物園になることがついに果たされてしまうでしょう。

  私の考える理想の東葛生とは、全て完璧ということではなく、簡単に言えば、「賢い変人」であります。

  世の中には無批判に人に従うだけで、世界は勝手に進むと考え、協調しかせず、何も生み出さないつまらない人々が沢山います。

  私はその対極として、「変人」という言葉を当てたいと思います。


  普通の東葛生は、思いのほか良い子です。しかし人間、よい子過ぎると何も生み出さなくなってしまいます。それを防ぐためには、やはり、変人的な視点を持つことが必要なのです。

  得体の知れない西洋が入ってきたことによって起こった文明開化を想像してください。

  数多の金銭的、知的投資を受けてきた私たちは、集団の中で適当に協調するだけでなく、一度頭を大きく離れたところにおいて考え、自分の中、または属する集団の中に新しい考えを持ち込み、文明開化を起こさなければならないと思うのです。

  しかし、ただの変人が文明開化を起こそうとするのはただの迷惑です。まわりに有意義な文明開化を起こすには、賢くなければならないのはもっともです。

  さらに、賢いということは、何か新しいことをすることへの自信となります。

  事実、私は、雪国のパロディで通学風景を再現するなんて自分賢いな!と思うことでこうして堂々と答辞をよめているのであります。


  また、最近はAIによって社会がどう変わるかに注目が集まっています。ここで思い出されるのが、大森前校長の最終講義「AIに負けるな」です。師は、AIというシン・ゴジラに立ち向かえるのは、それこそ東葛生であるということを見抜き、伝えてくれたのだと思います。

  以上をもって言いたいことは、これからの新時代で東葛生となり続けたものが最後に笑うのであり、広い世界で、自由、即ち自主・自律を手にするのです。


  続いて、エンディングに参りたいと思います。

  最初に、自転車通学の皆様に深くおわびを申し上げておきます。

  東葛を今から旅立つ私たちは、国道の下の長い地下通路を抜け、人生という名の東葛通りを進んでいきます。

  最初は何事もうまくいくとは限りません。

  「いろは」坂のように何度も、「とらとら」が迫ってくるかもしれません。でもその険しい道のりの先には、ギリシャ神話に登場する「ピグマリオン」のように、愛する人と結婚する人もいるでしょう。「クラーク」博士はこう言います。

「少年よ大志をいだけ」

  そんなことを言わずとも東葛生は野心的であり続けるでしょう。

  また、左折する車なんぞ知るかというように、「王道」を進めばよいし、そうでなくとも、自分に聞こえる希望の「音」を信じて進めばよいのです。

  東葛通りも終わりに近づいたところで、私はふと後ろを振り返ります。かすかに残る記憶とカメラロールのみが、私が東葛に存在したことを示すものはなくなってしまうだろう、台湾の高校生の前でWe Are the Worldを熱唱したあの時、大勢で歌えバンバンを歌ったあの瞬間、友人と五・一五事件を再現した昼休みは徐々に色褪せていきます。

  しかし、私の中で「東葛が好きだ」という気持ちは変わらない。

  その時、ふと私は曲がり角にあるラーメン屋を思い出す。

  最後に私は言いたい。

東葛生に誉あれ」

  

卒業生代表

 中小路一真